昭和7年(20陽会)1932年

NO4

《武 陽》
◎對關西學院戰

 昭和7年5月22日(日)甲子園 午後12時51分開始 審判・濱井(球)杉村(壘)
  神戸二中 000 000 100=1
 關學中等部 400 100 00A=5


 〔二 中〕 打得安犠盗三四失残
       數點打打壘振球策壘
 8 野 田 412000102
 6 成 川 401100000
 2 佐久間 400000110
 1 田中柳 300010215
 5 池 田 200010301
 3 名 倉 401001110
 9 田中敏 302000114
 7 松 村 300001101
 4 梶 井 400001021
     計 311612310614

 〔關 中〕 打得安犠盗三四失残
       數點打打壘振球策壘
 6 山 端 411001101
 4 中 島 513020002
 8 坂 元 310021201
 2 中 房 511000011
 7 金子兄 411010102
 9 鈴 木 400001102
 5 永 井 502011002
 1 谷 口 300001101
 3 長谷川 200000212
     計 35580658214

 △逸球=佐久間、中房

第一回(二中零)野田ストレートの四球に出て成川のバントに送られ佐久間も四球に出たが田中柳の二匍に佐久間封殺、野田は三壘に到ったが池田投匍。
(關中四)山端二遊間安打、捕逸に三壘を占め、中島の三遊間安打で生還、中島二盗なり、坂元の四球の時三盗に成功し坂元が一二壘間に挟まれる間に中島生還、坂元も二壘に生きたが中房の三匍で、三壘に暴進して刺さる、

 中房は投手の牽制悪投に二進し、金子兄の一二壘間安打を右翼手後逸する間に生還、金子も二壘に到り鈴木三振後、永井の左前安打に三進し、永井も二盗し、續く谷口、長谷川共に四球で金子還り、山端三振に終ったが打順一週して一舉四點を強取され、我軍憂色深し。

第二回(二中零)名倉、田中敏共に四球に出たが松村の投手バントは名倉を三壘に封殺し、梶井左飛、野田一邪飛で點とならず。
(關中零)中島遊直後、坂元三匍一失に生き二盗したが中房遊飛、金子二匍。

第三回(二中零)成川三匍、佐久間遊匍後、田中柳四球に出で、捕逸に二進し、池田も四球に續いたが、池田捕手中房の好牽制に刺さる。
(關中零)鈴木二匍失、永井左前安打にチャンスを思はせたが、谷口のバントは投手フライとなり、長谷川二飛後、山端四球に出たが、中島二匍。

第四回(二中零)名倉三振後、田中敏二壘手の右を抜く安打に出たが松村三振、梶井左飛。
(關中一)坂元四球に出で、直に二盗、中房の二匍失に三進し、中房も二盗なり、金子の二飛後、鈴木の二匍で坂元生還、永井は三飛。關中此の回一點を増して、勝利を確實にす。

第五回(二中零)野田右前にテキサスしたが、成川左飛、佐久間右飛後田中柳の遊匍に封殺さる。
(關中零)谷口三振、長谷川四球に出で、山端右飛後中島の二壘左の安打に一舉三進し、中島も球が三壘に送らる間に二進したが坂元三振。

第六回(兩軍零)二中、池田四球、名倉、田中敏共に一、二壘間安打で、ノーダン滿壘となす、絶好のチャンスを迎へたが、松村一飛、梶井の三匍は池田をホームに殺し、野田○−二となった時名倉の牽制に刺されて、空しく回復の期を逸す。
關中、中房二匍、金子四球、鈴木右飛、永井三匍。

第七回(二中一)野田投手の頭上を大きくバウンドで抜けば、内野安打となり成川も三壘上をゴロで抜き、佐久間の二匍に成川封殺されたが、續く田中柳の三遊間の強匍を永井よく捕って佐久間を二壘に刺す間に野田生還し一點を報いたが池田の右翼ライナーは鈴木轉びながら逆シングルでつかむ。
(關中零)谷口遊飛、長谷川投匍、山端二飛で始めて走者出でず。

第八回(兩軍零)二中、名倉中飛後、田中敏遊匍一壘失に生き、松村四球に續いたが、梶井三振、野田の二匍は松村を封殺。
關中、中島二壘内野安打、坂元中飛球後中房左直安打で、走者一、二壘となり、金子の遊匍で、中房封殺されたが、中島三進、金子も二盗、鈴木四球に二死ながらフルベースとなったが、永井二−三後三振して止む。

第九回(二中零)成川三匍、佐久間一邪飛後田中柳、池田四球に浴し、見事に併盗成ったが名倉投匍して遂に5A−1で敗れ、覇権成らず。涙を呑む。

〔後記〕折角一中に勝って、覇権に近づいて居たのに、遂に關西に春の仇を討たれて、栄冠を奪はれた。此の試合が優勝戰であったのだ。敵投手谷口はスナップのきいたスピードのある直球には見るべきものがあったがカーブのコントロールは全然なく、カウントを整へる為に投げる為に投げる直球を打たれて屡々危機を招いてゐた。

 關中は一回、田中の肩定らざるに乗じ、四本のクリーンヒットと内野の混亂に四點を得て、試合を樂なものにした。以後關中は四回に坂元の好走に一點を加へ後チャンスは相當にあったが、田中の巧投と好守に得點するに致らしめなかった。

 二中は立ちあがりざま機先を制せられてやゝたぢろいだがよく立ち直って追撃をつゞけ、三回には二死ながら走者を出したが、中房の強肩に潰された。谷口のコントロールが亂れた時であっただけ心残りな氣がする。

 五回も先頭打者を出しながら主要打者連が凡退し、六回には田中敏等が走者の牽制に入ってゐる壘手の空を抜き、無死滿壘となりながら後續打者の不振と、壘審のミスヂャッヂに名倉が刺されて點無く、僅か七回ラッキーセブンに一點を得たのみで、池田の三壘打性のライナーも鈴木の美技に事なく以後チャンスらしき物もあったが回復ならずして敗れた。
 
 此の試合前の一中戰に比べて、波瀾萬重觀衆をして、我軍の追撃に熱狂せしめた。關學は實に我が好敵手である。而し坂元の走壘と中房の捕手は縣下に冠たるものであらう。