昭和7年(20陽会)1932年

NO3

〈神戸新聞〉
▽準優勝戰

   (敵失)030 000 000=3
   (安打)104 000 500=10
 御影師範 023 000 500=10
 神戸二中 000 000 000=0

   (安打)000 101 201=5
   (敵失)000 000 000=0

 〔御 師〕 打得安犠盗三四残刺補失
       數點打打壘振死壘殺殺策
 4 村 上 42200110450
 2 井 上 41110000310
 7 和 住 52201100100
 1 森 澤 32101121010
 8 白 石 32001120300
 5 陶 山 41201113140
 6 大 坂 50101201150
 9 竹 田 20000000000
 H9 井 上 20000200000
 H9  南  10000000000
 3 藤 井 301001111400
     計 36101015107627160

 〔二 中〕 打得安犠盗三四残刺補失
       數點打打壘振死壘殺殺策
 6 成 川 20000020330
 1818野 田 40100002030
 2 佐久間 401000021110
 8181田 中 40000000010
 5 池 田 40100101130
 3 名 倉 40000100820
 7 梶 井 40100101000
 4 松 村 30100001303
 PH 井 貝 10000000000
 9 山 脇 20000110100
     計 32050043727133

 △三壘打=森澤、野田 △二壘打=村上、佐久間 △捕逸=井上 △捕逸=二中
 △試合時間=一時間五十三分

☆10−0 御影師大勝す 神二中終始振はず☆
第一回(御影)村上一、二間を抜いて出で井上のバントに送られ和住三振、捕手落球に一壘でさゝれる間に村上三盗せんとして併殺さる。
(二中)無為。 

第二回(御影)一死後白石四球、陶山二匍失に出で盗壘に二、三壘に據り大坂の二匍本壘低投に白石生還、竹田の二匍トンネルに陶山生還、竹田二盗に死し藤井三振に止んだが御師二點を先取。
(二中)三者凡退。 

第三回(御影)村上右翼二壘打、一死後和住の中堅安打に生還、森澤の左越三壘打に和住還り二死後陶山の中前安打に森澤も還る。大坂三振。
(二中)二死後山脇四球に出たが成川の遊匍に封殺。

第四回(御影)凡退後
(二中)野田左中間三壘打し出たが後援空し。

第五回(御影)森澤四球に出たのみ。
(二中)凡退。

第六回(御影)三者三振。
(二中)成川四球、野田の遊匍に封殺されたが佐久間の右越二壘打に走者二、三壘に出たが田中、梶井中飛。

第七回(御影)攻威鋭く藤井劈頭中堅安打、村上の三匍に二壘に封殺されたが、井上、和住の續く二安打に田中の投球亂れて二箇の四球と陶山、大坂の適時安打とに一擧に五點を奪ふ。
(二中)池田無死中堅前に憤打したが二死となり松村の遊三間安打も山脇三振して依然得點なし。

第八回(御影)走者なし。
(二中)成川の四球のみ。

第九回(御影)一死陶山四球に出壘したが後援なし。
(二中)最後の攻撃に入り、梶井の中前安打があったが二死後とてものにならず十對零にて御影大勝す。

《武 陽》
○…第二回四中等學校リーグ戰…○

 五月十五日午前十一時より甲子園球場に於て杉村(球)濱井(壘)二氏審判の下に開
 始一中先攻。
◎對神戸一中戰 昭和7年5月15日(日)甲子園
 神戸一中 002 000 000=2
 神戸二中 101 010 00A=3


 〔一 中〕 打得安犠盗三四失残
       數點打打壘振球策壘
 6 角 岡 410000000
 5 高 橋 501001010
 3 野 村 201010212
 1  前  300001101
 7 小 室 400001001
 8 長 谷 200001202
 4 花 木 400000000
 2 村 上 401001001
 9 久 米 010010302
 PH 浅 井 100001000
     計 2923026829

 〔二 中〕 打得安犠盗三四失残
       數點打打壘振球策壘
 818 野 田 310000101
 6 成 川 120000301
 2 佐久間 100001312
 181 田中柳 401000001
 5 池 田 400001000
 3 名 倉 300000101
 9 田中敏 200001202
 7 松 村 400000000
 4 梶 井 300001001
     計 25310041019

 △二壘打=田中柳 △併殺=角岡−高橋、田中柳−成川−名倉

第一回(一中零)角岡三邪飛、高橋、野村共に二匍、我軍田中投手の投球此の所甚だ好調なり。
(二中一)野田二匍後成川、佐久間共に四球に出で、續く田中柳は一−一後のボールを左中間に二壘打して成川生還、尚チャンスであったが池田の好打は遊撃の正面をついて、佐久間と併殺さる。

第二回(一中零)前一邪飛後小室三振したが捕手の失に生き、長谷四球に續いたが小室は二壘で投手牽制球に刺され、花木は中堅フライ。
(二中零)名倉二匍、田中敏一匍、松村遊匍で三者凡退。

第三回(一中二)村上三振後田中のコントロール亂れて、久米、角岡四球に出で、高橋の三遊間安打に一死滿壘となり、野村もストレートの四球で、久米押出され此の時野田投手となったが前もストレートの四球で、角岡還り一點をリードされたが、小室の遊匍は高橋を本壘に封殺し、長谷の三匍は池田取って自ら三壘に驅けこんでチェンヂ。

(二中一)梶井遊匍後野田、成川四球に出で、佐久間も二−三後ファウル二つし粘った上四球、田中柳は遊匍して一壘に死する間に野田生還して同點となったが池田右飛。

第四回(一中零)花木遊匍後村上三壘右を抜き、久米四球に走者一、二壘となったが角岡二飛、高橋投匍。
(二中零)名倉中飛、田中敏四球に出で、松村三飛後、梶井の三匍悪投に一舉三壘によったが野田左飛。

第五回(一中零)野村投手足下を抜いて出たが前の投匍に封殺され、小室は二飛、長谷三振してチャンス育たず。
(二中一)成川、佐久間四球に出たが、田中柳はスリーバントを失してアウト、池田は二飛で機會を逸したと思はれたが名倉、田中敏共に四球で成川生還して一點をリードし、松村は捕飛。

第六回(兩軍零)一中、花木遊匍、村上投匍、久米四球に出で二盗したが角岡三振。
二中、梶井遊匍後野田投匍一失に二壘に到り、成川の遊匍で三進したが佐久間三振。

第七回(兩軍零)一中、高橋三直後野村二盗成ったが前三振、小室二飛。
二中、田中柳投飛、池田三振、名倉中直。

第八回(兩軍零)一中、長谷四球に出たが花木の投手バントに封殺され村上の投匍は1−6−3と轉送されて、見事にダブルプレイを演ず。
二中、田中敏三振、松村遊匍、梶井三振。

第九回(一中零)ピンチヒッター浅井三振、角岡右飛、高橋三振して得點なく遂に怨敵一中を屠る。

〔後記〕一中とは丸山主将時代に寶塚で惜敗して居り、又昨冬濱ノ宮で負けてゐるからこの勝利は三年ぶりである。一中對二中戰は神戸に於ける早慶戰とも言はれて居り、したがって選手も固くなりがちである。

 此の様な傳統的な歴史的背景の有るゲームは技よりも意氣が勝敗を支配する。本日も兩軍の投手とも固くなり、日常の腕が發揮出来なかった。
 前は一回初頭よりコントロールに苦しみ、得意のカーブもうまく入らず、七、八回になって始めて本當の調子に返って居た様であった。

 田中柳も調子悪く兩軍を通じて四球数十八で、其の各々が皆得點と關係して居り、安打は兩軍を通じて四本、内容には何の新味もなく凡戰なる譏は免れまい。

 一中が五回と八回に無死走者を出しながら得點の無かったに反し、二中が五回失はれたと思ったチャンスを前のコントロール無きに乗じて、二死ながら一點を奪ひ、リードしたは實に幸福であった。

 五回無死走者を一壘に於いて、前が打って出たのは四番打者なる故であらうが、此の様な試合に於いて、しかもタイスコアーである時に於いては大なる疑問ではなかろうか。