昭和8年(21陽会)1933年

NO6

《武 陽》
◎對明石中學戰

 昭和8年7月29日(土)甲子園
 開始午後3時10分=閉戦4時56分 審判・生駒(球)泉谷、小林(壘)
▽2回戰
 神戸二中 000 000 000=0
 明石中學 002 012 10A=6


第一回(二中)(零)池田三振、梶井二匍後山脇2−3後の後好く選びて四球に出で野田も四球に續いたが中内三振。
(明中)(零)山田先づ一、二壘間の安打に出たが横内左飛、楠本は四球で走者一、二壘によったのみで中田の遊匍は楠本と共に併殺さる。

第二回(二中)(零)楠本の調子冴えて名倉、松村共に2−2後三振、期待された加島も三振、此所流石名投手楠本、投手にとって苦手の小躯加島をも見事三球空振さして退ける。
(明中)(零)深瀬三匍、峰本三振、福島左飛。

第三回(二中)(零)能勢2−0後のアウドロを見逃して三振、池田よい当たりで二壘をついたが加藤の好守に阻まれ梶井は三振。
(明中)(二)加藤突如セーフティーバントしたのを梶井一壘に低投し永尾の投手バントは野選となって兩者生き、山田の犠打に、走者送られた後横内第一球をスクイズして加藤生還、横内も一壘に生き續いて二盗を企てたが名倉好く之を二壘に刺す。當日屈指の美技なり、永尾は三壘を動かず、楠本四球後中田の投手頭上を抜くゴロを池田、加島譲り合って安打となし、永尾生還、楠本も二壘に進んだが深瀬一邪飛。

第四回(二中)(零)山脇再度四球に出で野田の犠打に送られたが二壘を出すぎて一壘よりの送球に二、三壘間に挟殺、中内三振。
(明中)(零)峰本四球に出たが福島の遊匍に封殺され加藤に代る吉岡三振、永尾投匍。

第五回(二中)(零)名倉二匍、松村、加島共に三振。
(明中)(一)山田捕邪飛後横内二壘手の横を抜き楠本の猛烈な三壘ゴロをよく止めて二壘に送ったが加島球を弾いて右翼に轉々する間に走者二、三進、中田の右前安打に横内生還、楠本は三壘に止り深瀬投匍、峰本三壘ゴロ。

第六回(二中)(零)能勢三振、池田ストレートの四球に出たが二盗ならず、梶井三振。
(明中)(二)福島二匍後吉岡中前安打、永尾の代打松下の三匍に封殺されたが山田右前直球安打、中内身を以て留め松下の三進を許さず、然し横内の中堅越二壘打で二者生還、横内は一擧三壘をついて刺さる。

第七回(二中)(零)山脇三度四球に出たが野田の投匍に封殺、野田は投手牽制球に一、二壘間に刺され、中内三振。
(明中)(一)楠本三遊間安打、中田の遊匍に二進し、深瀬の中前安打に三壘に依り峰本の三匍で生還、福島遊匍失に走者一、三壘となったが吉岡は三匍。

第八回(二中)(零)(この回より明石中田投手となる)名倉一匍、松村三振、加島投匍。
(明中)(零)松下遊匍、山田四球に出たが横内の二匍で見事に重殺、加島、池田のリレー鮮かなり。

第九回(二中)(零)能勢三振後池田最初の安打を三遊間に放ち梶井の二匍を二壘手二壘に悪投し兩者生き、山脇三振後野田四球で二死滿壘となったが中内は三球とも悪球を空振して遂にゲームセット、結局六A−○で敗る。

〔後記〕あつまるものゝ心理集中する快味「球を追ふ人、人、人が魂を外に忘れて魅力野球人格」の中へ渾然ととけ合ふこの夏!二十九日はコバルトの空に白雲の面紗かゝり、スタンドに通ふ爽涼の微風も天の贈ものか、望みのこす事なき甲子園日和、相手は「天下の覇」をねらふ強豪の一天下に名高き明中、來るべきものが來たのであるが、二回戰に早くも對戰すつとは餘りにも早すぎると云ふ感じがする。

 昨年の夏は田中(柳)投手の不調に思はぬ大敗を受けたが今年、大會一週間前、明石に於ける練習試合には味方は新進の名投手中田に抑へられて得點は無かったが野田の好投良く敵の打棒を四點に喰止めて(その四點もバックのエラーの為めであった)二中強しの聲を擧げしめたのだ。

 然し此の日プレートに立てる大剛楠本には衰へごうも見せず彼獨特の猛直球にブレーキの強い大きなアウトドロップの制球力に富み、はやりにはやり雪辱にもえる二中軍も只轉々と屍をさらすにすぎなかった。

 一方野田投手は直球に威力のないのを悟りて、ひたすらカーブに頼り三回巧妙なるバント攻めに守備陣を亂されたとはいへ中田の二遊間のゴロを池田と加島が譲り合ふ事が無かったならばより以上明中打者を苦しめたであらう。
 五回以後に奪われた得點はボールに馴れて來た明中の強打連に長打を見舞れた為めで仕方なく最後迄良く戰ひ大差を生ぜしめなかった事は感心させられる。

 これだけ戰へば滿足してよからう。陽翳って鐵傘のもと、夕雲低い中に荘美極りなき試合はサイレンの響きと共に終り、一九三三年の行事、又終る。然し我等は思ふ『勝ちて驕らず敗れて悔いず、その態度の飽く迄純眞に、その擧措の飽まで剛毅に全力を傾倒する處に球技の究竟があり、男子の懐抱すべき眞骨頂の現はれがあるのだ』と。

☆昭和8年度野球部員☆
 五年級=野田和重(主将)名倉哲三、山脇猛男、松村誠之、梶井孝雄
 四年級=池田繁久(新主将)能勢正博、中内省三、佐藤公男、島野 實、荒川義春
 三年級=若原謙次、吉田雅彌(マネージャー)
 二年級=加島 大、葛野 弘、立石 赳
 一年級=山本一郎、野口喜一郎、高原希國、上山壮三、田中民夫、竹下正三。

〈神戸新聞〉
 昭和8年7月29日(土)甲子園
 開始午後3時10分=閉戰午後4時56分 球審・生駒、壘審・奥谷、小林
▽2回戰
 神戸二中 000 000 000=0
 明石中學 002 012 10A=6


 〔二 中〕 打得安犠盗振球残失
 6 池 田 301001111
 5 梶 井 300002011
 3 山 脇 100001310
 1 野 田 100100220
 9 中 内 400004000
 2 名 倉 300001000
 8 松 村 300003000
 4 加 島 300002001
 7 能 勢 400003000
     計 25011017653

 〔明 中〕 打得安犠盗振球残失
 98 山 田 312100110
 3 横 内 513000000
 19 楠 本 211000220
 81 中 田 402000020
 7 深 瀬 401000010
 6 峰 本 300000101
 2 福 島 400000020
 4 加 藤 100000000
 4 吉 岡 311001000
 5 永 尾 210000000
 5 松 下 210000000
     計 33610101481

〔二壘打〕横内〔野選〕野田1〔併殺〕二中2、明中1
〔選手交代〕八回、明中、中田投手、楠本右翼、山田中堅
〔試合時間〕一時間四十六分

◇……二中の野田投手はスピードとカーヴにいゝ所を見せながら明中の左打者に對する投球に慎重をかき、山田に二本、横内に三本、中田に二本の安打を許したのは何といっても不覚だった。それに大豪明中を前に堅くなってムキになりすぎ、整球にすぎて痛打を浴びたのは若い。

 二回加藤を三匍低投に生かしてから、永尾の投前バントを捕った野田は走者を氣にして野選としたのが破局を招くもととなり、山田が送ってから、横内にわかり切った第一球をスクイズされて一點を献上、楠本を敬遠四球に出したが中田に痛い中堅安打を浴びて決定的な二點を奪はれた。

◇……明中はすべての試合に得點の先取を心掛けてをり、横内のスクイズは豫想し得たただらから何とか策がありさうなところ。それに楠本を歩かせて何故つゞく中田を歩かせなかったか、明中打陣で一番恐ろしいのは中田ではないだらうか。

 この二點で試合の興味はすっかりなくなり、四回にも横内、中田に痛打されて一點、七回で六點の差となった。二中の打力は楠本の前に萎縮して八回まで無安打三壘を踏めず、九回中田が投手となってから池田が一安打を放ち、敵失、四球で二死滿壘になったが中内三振して6−0で二中無為、無策のうちに敗退したのは是非もない。

22陽会(昭和9年卒)
 井上 尚行    
 井貝 敏夫    右翼
 松村 誠之    三塁
 山脇 猛男    二塁
 梶井 孝雄    三塁
 美木 鉄哉    右翼
 野田 和重    投手
 名倉 哲三    一塁