昭和8年(21陽会)1933年

NO1

《武 陽》
○…第三回四中學リーグ戰…○
◎對關學中學戰

 昭和8年1月29日(日)神戸一中 審判・橋本(球)久保田(壘)
  神戸二中 104 010 020=8
 關學中學部 004 031 001=9


 〔二 中〕 打得安犠盗三四失残
 6 池 田 522001111
 4 梶 井 432000201
 3 山 脇 422000102
 1 野 田 502001002
 2 名 倉 300002030
 8 松 村 300001202
 5 中 内 400003122
 9 佐 藤 300002211
 7 能 勢 411001101
     計 3589001110712

 〔關 中〕 打得安犠盗三四失残
 2 中 房 423000111
 6 山 端 320000210
 3 鈴 木 311001101
 4 中 島 231000301
 51 永 井 310000202
 8 金 子 502000013
 95 鍛冶屋 500000031
 7 樋 池 401000000
 19 谷 口 400002010
     計 3398003979

 △二壘打=野田、中房 △併殺=松村−梶井、池田−梶井−山脇、池田−山脇、
  谷口−永井−中島。

第一回(二中)(一)池田二飛、梶井遊撃右に安打、山脇四球に續き捕手の一壘牽制高投に梶井二壘より還る、山脇三進、野田、名倉共に三振。
(關中)(零)中房第一球を左越二壘打、山脇四球、鈴木左飛、中島四球に一死滿壘となったが永井の中前直球を松村よく掴み山端を併殺し關中劈頭の好機を逸す。

第二回(二中)(零)松村四球を選び中内三振の時二盗なり佐藤も四球、能勢打者の時松村リレードスチール企てゝ成らず。佐藤も5−4の好送球に二壘寸前で刺され關中の好防に二中點を加へず。
(關中)(零)金子一飛、鍛冶屋三匍、樋池二匍。

第三回(二中)(四)關中谷口の肩亂れ能勢、池田、梶井に四球をあたへ無死滿壘、山脇の遊撃強匍を山端失して能勢還り、野田第五球を右越二壘打して池田、梶井還り山脇も三進、名倉中飛後捕逸で山脇も還り野田三進、谷口投手のコントロール完全に亂れて松村、中内に四球を與へ一死滿壘、佐藤の一撃は右翼手壁側で好捕したと思はれたがグラブに當てゝ彈くも矢田本壘に走らず封殺、能勢三匍に終しも二中よく攻めて早くも五點をリードす。

(關中)(四)谷口投匍、中房二壘左を抜く安打を送れば野田の肩亂れ山端、鈴木、中島、永井に四球を與へて關中二點を奪還、尚走者滿壘、二中危機に立つ、金子の三匍、ボールは5−4−3と轉送されしも併殺ならず鈴木還り更に捕逸に中島も還り金子二進、鍛冶屋の左飛に終ったが關中四點を入れて試合は白熱化す。

第四回(二中)(一)池田三振、梶井四球を選び山脇は遊撃右を抜けば野田も三壘突破の安打を放つ、二中上位打者大いに振ひ一死滿壘、名倉三振後松村の三匍を野手失し梶井還り更に一點を加ふ、中内三振。
(關中)(零)樋池遊撃右を抜く安打、谷口三振、中房の遊飛は鮮やかな併殺を喫す。

第五回(二中)(零)佐藤、能勢共に三振、池田中直安打を放ち梶井も三遊間を直球で抜く、山脇の痛打は激しく左翼をつくも野手の美技に空し。
(關中)(三)山端三匍、一壘高投に二進、鈴木三振、中島四球を選び山端との重盗は捕手の三壘投球高く野手失して山端還り中島三進、永井四球二盗し金子の左前安打に中島生還、永井三進、永井、金子の重盗なり永井も鍛冶屋の二匍に金子三進せしも樋池投匍。

第六回(二中)(零)野田三匍、名倉二匍、松村三振に始めて走者なし。
(關中)(一)谷口三振、中房遊撃右を抜き直に二盗、山端左飛、鈴木の一打は激しく投手足下を抜き中房生還、中島二匍。

第七回(二中)(零)中内三振、佐藤直線四球に出でしも能勢の遊匍に封殺され能勢二盗成らず。
(關中)(零)永井三匍失、金子遊飛、鍛冶屋左飛、永井二盗、樋池遊匍ラッキーセブンは兩軍に恵まれず。

第八回(二中)(二)池田三壘強襲安打を放ち、野手の彈く間に二進、梶井の遊匍に三進す、山脇は第二球の好球を中前に痛打せば野手逸し池田、山脇還り同點となる。野田右飛、名倉左飛、松村遊飛。
(關中)(零)谷口中飛、中房四球、山端の遊越飛球を池田背走してつかみ中房を一壘に重殺す。

第九回(二中)(零)中内三匍失、佐藤三振、能勢右前安打して一死走者一二壘になりしも可惜、池田右飛、梶井捕邪飛して好機を逸す。
(關中)(零)鈴木左飛、中島二匍失、永井も遊撃に強匍を送れば野手ファンブルして併殺ならず兩者を生かし金子も遊撃右を抜く一死滿壘、二中絶體絶命の危機に立ち遂に悲壮な最期を遂げる時が来た。鍛冶屋右飛すれば佐藤よく追へども地上數寸の所で僅かに落とす間に中島制勝の一點を入れ九A對八にて關中勝ち、二中悲運に泣く、閉戰四時二十分。

〈神戸新聞〉
 昭和8年1月29日(日)神戸一中
 午後2時14分開始=4時35分閉戰 審判・橋本(球)久保田(壘)
  神戸二中 104 100 020=8
 關學中學部 004 031 001=9


 〔關 學〕      〔二 中〕
 2 中 房 34打數37 6 池 田
 6 山 端 8安打9 4 梶 井
 3 鈴 木 0犠打0 3 山 脇
 4 中 島 5盗壘1 1 野 田
 8 永 井 3三振11 2 名 倉
 15 金 子 9四球10 8 松 村
 51 谷 口 8残壘12 5 中 内
 9 鍛冶屋 7失策7 9 佐 藤
 7 樋 池      7 能 勢

 △二塁打=中房、野田 △併殺=二中3、關學1 △暴投=谷口
 △試合時間=2時間21分

☆二中惜敗して 關學先づ一勝す 寒氣酷しく互に凡失の連續☆
◇…物凄い西風に兩軍守備に多大の支障を來し寒氣また投球の自由を奪って兩軍とも苦戰であった。一回、二中一死後梶井遊匍一失に出で山脇四球に續き捕手の一壘牽制悪投に梶井一擧生還。關學は中房第一球を左翼越二壘打し山端四球、一死後中島また四球に一死滿壘となったが永井の中飛、松村よく捕って山端を重殺す。

◇…第三回關學の谷口投手スピードはあるがコントロールを缺き能勢、池田、梶井と續けさまに四球、無死滿壘となった時山脇の遊匍失に能勢生還、野田の右越二壘打に池田、梶井生還、投手暴投に山脇も還り杉村、中内四球にまた滿壘となったが佐藤の右翼安打、野田スタート悪く刺されたが二中更に四點を奪ふ。二中野田投手も亦コントロール悪く連續四球四個と一安打、一失に四點を献上した。

◇…四回二中、谷口に代った永井の球を山脇、野田、松村打って一點を加へたが其後永井の速球、曲球よく極って七回まで二中の攻撃を抑へたに反し

◇…關學は五回山端三匍失に出で中島、永井四球に續き捕手の三壘悪投に山端生還、金子の左翼安打に中島還り、捕手の二壘悪投に永井も還って關學三點を入れ七對六となって形勢逆轉、關學六回更に一點を加へそのまゝ押しきるかと見えたが

◇…八回二中池田三壘内野安打、暴投に二進、一死後山脇猛烈なゴロで遊撃右を抜き中堅手之を後逸したため山脇長驅生還、八對八の同點となる。

◇…九回二中、中内三匍失、一死後能勢右翼安打に色めき立ったが後援なく、關學一死後中島三壘強襲、永井遊撃に猛ゴロを送って走者一、二壘、金子の遊匍一失に一死滿壘、谷口2−3の後右翼フライをあげたが風のため野手目測を誤って失し中島本壘に殺到、決勝の一點をあげ九對八で關學勝つ。