昭和8年(21陽会)1933年

NO2

《武  陽》
▽四中學第2戰
◎對神戸三中戰

 昭和8年2月12日(日)神戸市民運動場
 開始午後1時27分 審判・橋本(球)藤尾(壘)
 神戸二中 004 704 100=16
 神戸三中 100 000 010=2

 〔二 中〕 打得安三四残盗失
       數點打振球壘壘策
 6 梶 井 53002001
 8 松 村 52102150
 3 山 脇 43103350
 1 野 田 63001230
 2 名 倉 53312320
 4 加 島 50102100
 9 佐 藤 51211300
 5 中 内 41112211
 7 能 勢 50001200
     計 4416931617162

 〔三 中〕 打得安三四残盗失
       數點打振球壘壘策
 71 松 井 50010000
 6 古宇田 32001102
 17 太 田 40100101
 2 江 川 40210201
 8 徳 久 20022200
 9  間  40030000
 3 齋 藤 30001001
 5 平 尾 40110004
 4 大 村 30021100
     計 3224105709

 △二壘打=名倉、佐藤、江川 △併殺=名倉−梶井
  ※此の日池田負傷して出場せず。

第一回(二中)(零)梶井遊匍失に出で次打者の第一球で二盗ならず、松村四球二盗、山脇も四球に出で重殺なり野田も四球で一死滿壘となったが名倉三振、加島二匍、三中よく守り得點を許さず。
(三中)(一)松井右飛、古宇田三匍失、太田の二匍に二進、江川の左中間二壘打に還り堂々一點をあぐ、徳久三振。

第二回(二中)(零)佐藤三振、中内四球、能勢投飛、梶井遊匍。
(三中)(零)間三振、齋藤投匍、平尾の一匍は投手壘をカヴァーしてアウト。

第三回(二中)(四)松村遊撃左を抜き二盗、山脇四球後重盗鮮やかに成る、野田の二匍は野選となり松村生還、山脇も三進、名倉の遊撃右を抜く安打に山脇も還り野田二進、直ちに三盗、加島の一匍に野田還り名倉も一舉三進、佐藤の三匍失に名倉も生還、佐藤二盗ならず、中内四球二盗、能勢も四球に出たが梶井二壘直球。
(三中)(零)大村四球、松井一飛、古宇田の三匍に大村を封殺、太田三匍。

第四回(二中)(七)松村四球二盗、山脇の三匍失に松村三進、山脇も二盗、野田の遊匍を野手本壘に送球せしも間に合はず野選となり松村生還、山脇三進、野田も二盗、名倉の遊匍失に山脇還り野田三進、名倉二盗、加島四球で又無死滿壘、佐藤の三遊間を抜く安打に各走者進壘して又一點、能勢中飛、梶井の三匍に加島を三壘に封殺、松村の遊匍一失に佐藤、中内、梶井三者還り山脇の三匍一壘悪投に松村三壘をつき刺されたが二中猛打を振ひ打者十一人を打線に送り一舉七點を加ふ。

(三中)(零)江川三振、徳久死球、間の二壘左を襲ふ直球を加島飛び上りざまよく掴む、齋藤二匍。

第五回(二中)(零)野田二匍、名倉三壘ベース上をゴロで抜く二壘打、加島、佐藤共に四球を選び一死滿壘となったが中内三振、能勢三直にチャンスを逸す。
(三中)(零)平尾投匍、大村三振、松井左飛に依然振はず。

第六回(二中)(四)梶井四球、松村左飛、山脇二壘手左を抜き野田の投匍は野選となり、一死滿壘、名倉三遊間を抜く安打に梶井還り加島の投手強襲安打に山脇、野田還り、名倉三進、佐藤の遊匍本壘送球間に合はず野選となり名倉還り、佐藤も一壘に生き加島二進、中内の投匍で二走者進壘、能勢の投匍に加島本壘に刺されたが二中又も四點を加ふ。

(三中)(零)古宇田遊飛、太田左飛、江川遊匍一壘高投に一舉二進、徳久四球に續いたが間三振。

第七回(二中)(一)梶井四球、松村、山脇共に中飛、野田の右飛失で梶井一擧三進、野田二盗、捕手の三壘牽制球を壘手失して梶井還り野田三進、名倉四球二盗、加島投匍。
(三中)(零)齋藤四球、平尾三振の時二盗成らず大村三振。

第八回(二中)(零)佐藤左越二壘打、中内の投匍に三進、能勢左飛、梶井二匍。
(三中)(一)松井左飛、古宇田四球、太田中前安打、江川の三遊間安打に古宇田還り、太田三進、徳久、間共に三振。

第九回(二中)(零)松村中飛、山脇四球二盗、野田中飛、名倉四球に出で山脇との重盗なりしも加島三匍。
(三中)(零)齋藤三匍、平尾三壘左を抜く大村の三匍に封殺、松井三振して十六對二にて二中大勝す。

 ※此の日池田負傷して出場せず。
 ※對一中戰は十八日甲子園で行ふ豫定なりしも積雪の為中止となる。

《武 陽》
[第一回縣下中等學校優勝野球大會]

 ※昭和8年から「兵庫縣中等學校野球大會」は「縣下中等學校優勝野球大會」に。

 春たけなはなる三月下旬櫻吹雪の眞只中、新装なれる明石公園で第一回縣下中等學校優勝野球大會が開かれた。思ひ起せば、三年前、前田主将の下、志摩、秋元、牧野等の健棒をいたゞきながら大村投手全盛の縣商に思はぬ敗をとりたるを最後として、やむなく工事の為濱ノ宮に移ってゐた。

 大會も再びこゝに新装全く成りたる錦城城下に名も改められて第一回の記念すべき大會が行はれたのである。時に我が二中軍はグラウンド開きのトップゲームとして、あの若芝萌ゆる處女土に幸よきスパイクの跡を残さんとは、何たる幸運ぞや、又此の試合より新に入學された一年生で、やがて武陽軍の全責任を其の双肩にになはれる山本、野口兩君を始め高原其の他諸君の元氣な姿がベンチに見られた。

◎對灘中學戰
 昭和8年3月14日(火)明石公園球場
 開始午前9時37分=閉戦11時 審判・原(球)井上、小林(壘)
▽1回戰
神戸二中 403 91=17
 灘中學 000 02=2

 (5回コールドゲーム)

 〔二 中〕 打得安盗振球失
 6 池 田 3311020
 2 松 村 4211111
 3 山 脇 5312000
 81 野 田 3221010
 18 名 倉 4131000
 5 中 内 3000110
 9 梶 井 3203000
 9 葛 野 1000000
 4 加 島 0301040
 7 能 勢 4121000
     計 30171011291

 〔灘 中〕 打得安盗振球失
 9 淺 野 1101120
 8 齋 川 3010100
 2 田 村 2000100
 5 奥 田 2000002
 3 鈴 江 2000101
 6 大 野 2000204
 7 濱 田 2000000
 4 澤 田 1000010
 1 野 村 1101110
     計 16212747

 △本壘打=池田、名倉 △二壘打=名倉、能勢 △交替=二中四回より野田投手とな
  り 名倉中堅、五回風邪の梶井に代りて葛野打ち右翼に入る。
 (所要時間 1時間23分)

〔試合經過〕二中(一回)池田四球に出で松村、山脇の連敵失に生還、野田、名倉の連安打に松村、山脇還り中内四球後梶井の遊匍に野田も還り四點を先取。
(三回)梶井遊匍一壘高投に一擧二進、加島四球後池田の右中間本壘打に三者生還。
(四回)山脇左前安打、野田四球に走者一、二壘の時、名倉の左越本壘打に三點、其の後三安打、三敵失、二四球に計十七點に對し、灘中は五回松村の二壘牽制悪球に二點をかへしたのみ十七對二にて二中先づ一勝す。試合終了正十一時。

〔後記〕此の日二中は主将野田投手受験の為め大會前一週餘練習に参加せず、ゲームの前日漸く歸神したる有様にて、プレートに立つ事が出来ず、巨漢名倉マスクを捨てゝマウンドに立つ。
 名倉、投手として全然經験無きも、その五尺八寸餘の長身から投げ出される球には相當のスピードが有り、折々交へられる小さきながらもブレーキのあるドロップに灘中打者バットが合はず三回を過ぐるも安打一本と云ふ貧弱さ。

 四回よりはろくにピッチングもしてをらぬ野田の球が益々打てず、五回二死後稍々氣が弛みたるか四球の二走者を出した時に、松村の不用の投球に加ふるに、名倉の三壘高投が伴って、二點をかへしたのみ。

 一方二中は灘中野村投手の威力のない球に早くも打巡一周四點を先取し、三回には池田右中間に新グラウンド最初のホームラン等有りて又三を加へ、更に四回には名倉の二本の長打、山脇、能勢の單打等あり、その間縦横無盡の盗壘の大量九點を加へ、五回に又一點、計十七點とは餘りにも呆気なかった。

 二中軍の盗壘十一は灘中捕手の肩の悪さを察するに餘りある。個人的には名倉の好打、池田の好打、好走、山脇、松村の走壘の巧さが目に附いた。然し良き相手に對した場合、果してこれだけの攻撃力が發揮し得るか、これは大なる疑問である。
 

〔話題〕昭和8年3月14日(火)明石公園球場が新装なってその球場開きとして第1回県下中等学校野球大會が行われた。記念すべきオープニングゲームは
神戸二中對灘中學戦。試合は17−2、5回コールドゲームで神戸二中の大勝に終わり、記念すべきホームラン第1号は二中の1番・遊撃の池田(繁久氏=物故)が3回に右中間に放った3ラン。
オーバーフェンスかランニングホーマーかはっきりした記録は残っていないが、恐らくスタンドインだったろう。
新球場初勝利、初本塁打二中は明石球場に記念すべき足跡を残している。