昭和34年(47陽会)1959年

NO3

昭和34年7月27日(月)甲子園

                        

▽4回戦
 県尼崎 000 000 000=0
 県兵庫 100 010 10X=3


 〔県尼崎〕 打安点     〔県兵庫〕 打安点
 二 本 多 400     遊 桑 原 411
 遊 上 田 301     一 牧之内 400
 PH 福 島 100     左 中 村 410
 一 長 幡 311     三 徳 田 210
 三 辺 津 301     投 国 本 300
 左 松 永 300     捕 丹 羽 300
 投 合 田 300     二 上 田 300
 右 児 玉 301     中 長谷川 310
 右 新 納 000     右 笹 山 320
 捕 吉 田 000
 捕 砂 川 300
 中 村 井 310
振四犠盗打安失
40002924
振四犠盗打安失
42002961

 ▽二塁打=長谷川 ▽併殺=尼1 ▽暴投=合田

○…県兵庫は国本投手が巧みな配球で、県尼崎打線を2安打に押さえて、勝利の原動力となった。これに応えた打線もシャープなバッティングで県尼崎の合田投手を打ち込み、チャンスに笹山、長谷川が得点打を放つという見事な総合力で優勝候補髄一の県尼崎を破った。

○…県兵庫一回の攻撃はトップ桑原が右前打、牧之内の三塁線軟ゴロで二進、中村の中前 打で一,三塁とした。徳田は0−1後スクイズに出たが、バッテリーに完全に見破られた。しかし合田の投球は外角に遠く外れ桑原が生還した。

 五回にも一死後、三塁失に出た上田が長谷川の投ゴロで二進し、笹山の右翼線ぎりぎりに落ちるしぶいヒットで生還、さらに七回にも丹羽の遊ゴロを一塁手が落球する凡失に乗じ、長谷川の左中間長打でダメ押し点をあげ勝利を不動のものとした。

○…県尼崎は国本投手がシュートを外角に、スローカーブを内角に配する投球に悩まされ、内角球をいたずらに強振、完全に国本のペースに引き込まれ三塁ゴロを9本も打つ始末。いずれも県兵庫徳田三塁手の固い守備に出塁を阻まれた。

○…いつの試合でも伝統の試合巧者ぶりを見せる県尼崎も一回から九回まで無死の走者を一人も出せないという貧攻では勝利も望めず、二塁に進んだのは七回一死後内野安打と遊失の長幡だけ。この時も辺津の強打がレフトの頭上を襲ったが中村の好捕でものにならず、よいところなく完敗だった。