神戸二中では遊撃手、三高でも内野手として活躍。さらに東大に進んでからは三塁を守った。
昭和9年の【東京大学聯盟】は春1試合、秋2試合制を採っていた。
池田氏は9年全試合(15)に出場している。最初4月22日の立教戦は三塁・六番。その後守備の三塁は変わりないが打順は一、二、六番を打っている。11試合が一番、3試合六番、1試合二番とトップバッタータイプだった。
夫人から平成12年10月14日次のようなお便りを頂きました。
『此度は武陽野球倶楽部部史ご製作のご案内をいただき有難う存じました。折角のご申出ながら生憎、この處体調をくずして入院中でございますのでご協力申上げられず残念に存じます。何卒よろしく御了解の上お世話様になっております皆様へよろしう願上げます。変わりやすいこの季節をご大切に遊ばしますように。右要用のみご返事迄申上げます。 かしこ』 |