30陽会   三谷元一郎氏【物故】

 謹んでご冥福をお祈りします。

野球部に入ったのは二年生のころ(昭和14、15年)当時校舎の建て替えが決まっていたが、校庭を横断する段差5〜6メートル、6、7段の石段があり野球部の練習は下段の広い方の校庭を使って行われた。

四年生のとき校舎の工事が始まったため校庭は使用不能になり、近くの会下山にあった葬場焼場に隣接するグラウンドで練習をしていた。
焼場が稼働し煙突から黒い煙が出始めると黒い灰が舞い下りてくる。加えて死者を焼く何ともいえぬ異臭が立ち込め辟易したものだ。そのせいでもないだろうが練習は厳しくはなかった。それでも実力は県下でベスト8に入っていたと思う。

春の選抜出場校を決める試合で滝川中と対戦したが、そのころの滝川中は別所、青田、小林といずれものちにプロ野球に入った素晴らしい選手をそろえ県下は勿論全国的にも有名校だった。確か試合は滝川中の校庭で行われ敗れたが、さすがに青田はよく打っていた。二塁ベース上で私に向かって“アカンベー”をしたことを覚えている。

中学、(旧)高校、大学、社会人と70歳前までプレーを楽しみ野球とは切っても切れない人生であった。

戻る