58陽会   松末成美氏

昭和44年の県予選2回戦で武庫工に敗れたあと新チームを結成、その直後、秋の県大会の地区予選で惜しいところで代表枠の3チームに残れませんでした。

1位滝川、2位育英、最後の3チーム目の座を巡って長田高校と争うことになりました。今から考えれば神戸高校との定期戦以外で全員一丸となって戦った熱の入った試合でした。試合の結果は1−2の惜敗でした。

無死一、二塁で三塁より投前バント。投手として出場していた私は捕球したあと三塁に送球するか、一塁に投げるか、一瞬迷ったような気がしました。自分ではほんの一瞬と思ったのですが、判断するまでにかなり時間がかかったようです。その処理ミスのため二者の生還を許してしまったのです。あの送球が原因で県大会出場が出来なかったのですから責任を感じると同時に何時までも頭の中から離れません。みなに申し訳ないという思いと中途半端な判断をした自分を戒める教訓として肝に銘じています。

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