84陽会 山内憲誠氏

 私たちの学年の野球部員はマネージャ2人を含め6人。下の学年は10人以上いたものの、チームの発展は結成以来多難を極めた。何せ勝てない・・・。練習試合は無勝で敗戦に次ぐ敗戦。黒星の連続。平成10年(1998)プロ野球の千葉ロッテが記録した18連敗など可愛いものであった。

 連敗の最中突入した秋季地区大会。連敗にピリオドを打つチャンスは神戸北戦(平成7年8月21日)で訪れた。4−0、県兵庫リードで迎えた9回、二死まで持ち込んだ。「あと1コやぞー」野手が、ベンチが声を掛け合う。何と、そのあと「1コ」が取れず同点に追いつかれてしまった。延長戦にもつれ込み10回に4点を許し逆転負け。99パーセント手中に収めていた「初勝利」は掌中から逃げてしまった。以後の練習試合も連敗し、初勝利を挙げたのはなんと9月の下旬であった。

 そんなチームもひと冬越えて大いに成長した。圧巻は神戸高校との定期戦であった。試合前のシートノック。県兵庫の野手がポロポロとエラーしているのとは対照的に神戸の選手は実に軽快に、かつ正確に打球を処理していた。

しかし、そこは野球、いや勝負ごとの原則『勝敗は時の運』または『勝負は下駄を履くまで分らない』と言う言葉があるが、そのままの結果になった。試合になると神戸にエラーが連出、県兵庫は長短打を重ねホームスチールまで決めるなど10−0、5回コールド勝ちという「最高の勝利」を手にしたのだった。

 最後の県予選、初戦の相手は神戸北。昨秋のリベンジだとチーム全員は雪辱に燃えた。チームの状態も良く、皆が初戦突破を信じていた。が、結果は2−14の大敗。今まで張り詰めていたものが急に奪い去られ、何ともいえない虚脱感に襲われ、後は涙しかなかった。

 最後のミーティング。高橋先生は「最弱で一番大変やったけど、一緒にやってて一番おもしろいチームやった。こいつらはほんまに一生懸命やった」と言って下さった。

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