47陽会  笹山敦由氏

いまでもしっかりと私の脳裏に焼きついている。あの日のことは一生涯忘れられない思い出だ。

それは第41回大会兵庫予選4回戦、対県尼崎戦のことだった。

この大会、私はベンチ入りしたものの、先発要員ではなく、控え戦力だった。それが2回戦の御影戦で八木選手が負傷、3回戦の甲南戦から先発出場することになった。

当時の監督は兵庫高校のOBで甲南大学野球部主将の田中さん。甲南の監督は甲南大学野球部の副主将、主将−副主将対決で話題になった。

甲南に勝ち4回戦で顔が会ったのが優勝候補最右翼との下馬評が高かった県尼崎。当然、兵庫高校にはほとんど勝ち目がない−と見られていた。

九番、ライトで先発出場した私の第1打席は2−2から見逃しの三振。第2打席は二死二塁という好機に巡ってきた。『もしかしたら代打を出されるか』と思ってベンチを見ると、田中監督は右手で大きく“打て”のゼスチュアー。

初球はなんでも振ってやろうと思って打席に立った。狙い通り無我夢中でバットを力いっぱい振った。打球は右線へのタイムリーヒットとなった。これが自信となって続く第3打席も右前打。守ってはエースの国本が力投して3−0で勝つという大金星を挙げた。

やれば出来る−この試合でのプレーはその後の私の人生で大きな支えになったと思う。

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