67陽会 寺本健二氏

 入学式の翌日に野球部が練習しているグラウンドへ行き入部願出しに行ったことを今でも微かに記憶している。

入学前までは、兵庫高校野球部が第1回全国野球大会に出場し、また、選抜大会にも出場した名門校であることなど全く知らなかったが、入部後、練習の指導に訪れた先輩たちの話などを聞き、伝統ある野球部であるという思いを強く持った。

 私たち67陽会の新入生にも中学校当時の野球部のキャプテンをしていた者が4人もいたし、リトルリーグ?で活躍し大阪球場でホームランを打ったとの噂のあった滝上君(1年生のとき、練習中に事故に遭い野球を断念せざるを得なかったが、彼がそのまま野球を続けていたら、もっと強いチームになっていたと思う)など好選手がそろっていた。

 そんな私たちが3年生になり、最後の夏の大会前は、チームの状態も良く、有力校と呼ばれるチームとの練習試合でも互角の戦いをしていた。先輩も期待していたのか、3年間で初めて大会前に壮行会を開いてもらったが、壮行会のあと、キャプテンの田中君と1回戦で負けたら−と気の弱いことを話したことを覚えている。

 その心配を吹き飛ばすようにチームは勝ち進み、ベストエイトまで進出した。特にエースの神崎君の活躍は目覚ましく、2回戦(1回戦は不戦勝)の吉川戦を25−05回コールドゲーム、3回戦の伊川谷戦は1−0、4回戦の三田戦を2−0、5回戦の兵庫商戦を4−0と4試合に登板して無失点の快投を演じた。吉川戦はあまりの大差で途中で杉本君と代わったが、3試合連続完封は素晴らしかった。

 準々決勝の舞子高校戦は神戸市民球場であり、多くの在校生、OBの応援を受けながら1−3で敗れたが、3年間の集大成としていい試合をすることが出来たと思っている。

一片の悔いのない野球部生活を過ごせた満足感と充実感でいっぱいだ。高校野球のシーズンになると新聞紙上に載る母校のことが気になり、つい目が行ってしまう。常に後輩たちの動向を見つめている。

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