昭和6年(19陽会)1931年

NO6

《武 陽》
 昭和6年6月19日(金)甲子園
ダイヤコーチリーグ第五戰、對御師戰は六月十九日午後四時より甲子園に於て
森口(球)高梨(壘)二氏審判の下に二中先攻で開始。

第一回。二中零▲佐久間二飛、成川二匍後野田投手ゴロ一壘低投、田中二壘左を抜いたが田中捕手牽制に刺さる。
御師零▲村上遊匍失に出たが和住の投前犠打に封殺され森澤の三匍に和住も封殺後白石中堅安打、赤阪三遊間安打に續いて滿壘となったが櫻井は二−三後の釣球に掛って三振。

第二回。二中零▲大中二直、名倉四球に出たが池田中飛、松村二匍。
御師一▲陶山中前安打、藤井のバントに送られ井上の三匍に進み、村上の左中間二壘打で生還、和住遊匍。

第三回。二中零▲山脇右飛、佐久間一飛、成川遊匍失に出たが投手に計られて死す。
御師五▲森澤二飛後白石中堅安打、赤阪の右線安打に白石三進、赤阪二盗、櫻井四球で滿壘となり、陶山三進したが、藤井、井上、村上共に四球で三人押出され和住の三側安打で藤井、井上生還、尚村上三壘、和住二壘に寄ったが森澤中飛。

第四回。二中零▲野田一匍、田中三越テキサスに出て大中四球に續いたが名倉の遊匍で重殺を喫して未だ無得點なり。
御師七▲白石左翼安打、野手失して一擧二進、赤阪四球、櫻井遊撃右を抜いて又滿壘となり、陶山の右前ヒットに白石還り、藤井三振後井上の三匍で赤阪生還、村上再度の左中間二壘打に櫻井、陶山生還、和住死球、森澤二匍一失に村上生還、和住三進、森澤、和住の重盗なりて和住還り、白石の中堅横の三壘打に森澤生還、赤阪三振で漸く終ったが野田、山脇共に猛打されてほどこす術なし。

第五回。二中零▲池田遊匍、松村左飛、山脇三振。
御師一▲櫻井四球に出で二盗の時捕手二壘に高投して一擧に三壘に進み、陶山三振後藤井に代る。竹田四球すぐ二盗、井上捕飛後村上、和住共に四球で櫻井還る。森澤三匍。

第六回。二中零▲佐久間左飛、成川左直、野田一飛。
御師四▲白石四球に出て赤阪の遊匍に封殺され、櫻井四球、陶山中前安打に續き竹田三振後井上の遊撃右の安打に赤阪還り村上の左翼安打を野手はぢく間に三者轡を竝べて生還、村上は二壘に到ったが和住二匍。

第七回。二中一▲田中遊匍失に出で大中右飛、名倉遊飛後二盗し、池田の左中間二壘打に本日我軍唯一の得點をなす、池田は捕逸に進んだが松村三振。
御師零▲森澤左飛、白石三匍、赤阪二匍、初めて走者を出ださず。

第八回。二中零▲山脇三振、佐久間捕邪飛後成川四球に出たが野田左直。
御師零▲櫻井左翼線上に二壘打し、陶山の遊匍に三進したが竹田三振、井上二飛。

第九回。二中零▲田中三振、大中三側安打に出たが名倉捕邪飛、池田三飛。

 神戸二中 000 000 010=1
 御影師範 015 714 00A=18


 〔二 中〕 打得安犠盗三四残失
       數點打打壘振球壘策
 2 佐久間 400000001
 6 成 川 300000111
 17 野 田 400000010
 8 田 中 412011010
 5 大 中 301000110
 3 名 倉 300000111
 4 池 田 401000010
 9 松 村 300001000
 717 山 脇 300002002
     計 3114014365

 〔御 師〕 打得安犠盗三四残失
       數點打打壘振球壘策
 4 村 上 413000240
 7 和 住 411010220
 9 佐 藤 000000000
 18 森 澤 610010011
 6 白 石 524000122
 81 赤 阪 532011110
 3 櫻 井 342011310
 5 陶 山 633002000
 9 藤 井 110101100
 7 竹 田 200012110
 2 井 上 521000100
     計 41181615712123

 △三壘打=白石
 △二壘打=村上2、櫻井、池田
 △併殺=白石、村上、櫻井
 △逸球=井上
 △開戰=四時二十分、閉戰=六時二十八分
 △所要時間=二時間八分

〔後記〕一度スランプに落ち入ればもがけばもがく程、益々沈んで行く−今の我等が丁度其の状態にあるのだ。前二度の敗戰よりして精氣も元氣も何物も失へる我等はたゞゲームに操られてゆくだけである。

 縣商戰以後の野田は全然別人の如く、コントロールは無くなりスピードは衰へノックアウトされても田中立たざる今、僅にくせ悪きシュートボールを唯一の武器とする山脇の外には救助投手無く、其の山脇が今日の様な事ではなんの役にも立たず、田中の回復を待つのみである。

 難關サードには右−二−左−三と轉々として來た大中が堅守し、相當にこなしていった。然し彼は元來外野型で有る。どこかシックリと合はない所がある。かくダイヤモンド戰の最後に大敗を喫し龍頭蛇尾に終った事は甚だ遺憾で有るが野球は水物、運の物、夏を期待せよ。

《武 陽》
【第17回全國野球選手権大會兵庫豫選】

 愈々夏が來た。我々が待ちに待った夏が、廣島商業が眞紅の大旆を見事獲取して二度目の覇権を握ったのはつい先頃の如く思ってゐたが早くも一年經って青空の下、全國數百校の健兒が一年中の總決算の時は廻り來った。

 我が兵庫縣下でも七月二十九日より例年の如く甲子園球場で華々しく其の先端を開いた。我校は何の因果か、第一回戰の相手は去年と同じ柏原中學、復讐の意氣に燃えてゐるもの、我も更生の道をたどりつゝあるもの、此に正面衝突して甲子園原頭火花を散らして戰ふ。

 七月三十日午前七時半、對柏中を行ふの日、前夜來の雨名残なく晴れてグラウンドの青芝露を含みて、朝日に映じ、時立つと共に輕風に程よき乾きを見せて申分なきコンディション。金政(球)富樫、濱井三氏審判の下に二中先攻で開始。
我軍は新に五年級の宿将高田、高野兩将復活して陣容をかためて戰ふ。

昭和6年7月30日(木)甲子園
▽1回戰
 神戸二中 242 41=13
 柏原中學 000 00=0

 (5回コールドゲーム)

 〔二 中〕 打得安犠盗三四残失
       數點打打壘振球壘策
 7 高 野 410010000
 6 成 川 130020300
 1 野 田 323000110
 8 田 中 311000110
 5 大 中 311011220
 9 高 田 402010030
 4 池 田 310021101
 3 松 村 221011212
 2 佐久間 421010000
     計 271390931083

 〔柏 中〕 打得安犠盗三四残失
       數點打打壘振球壘策
 8 安 平 300011010
 6 山 内 100010220
 1 荻 野 300002000
 6 佐 敷 200002001
 2 高 田 200001010
 5 餘 田 200000002
 3 佐 竹 202000010
 4 小 林 200002001
 7 土 井 200000010
     計 1902028264

 △二壘打=佐久間 △逸球=高田
 △開戰=八時三十分、閉戰=九時五十分(所要時間、一時間二十分)

第一回。二中二▲高野二匍後成川、野田、田中共に四球に出で大中三振後高田の右前安打で成川、野田生還、高田二盗なったが池田投匍。
柏中零▲安平遊匍、山内四球に出で二盗成ったが、荻野三振、佐敷も三振。

第二回。二中四▲松村四球、佐久間二匍失に續き、高野の二匍で佐久間封殺されるが高野二盗後成川四球、野田の二遊間安打で松村、高野生還。成川三壘、野田二壘に寄り田中捕邪飛後大中四球に出で高田の三遊間安打に成川、野田生還、池田捕邪飛。
柏中零▲高田三振、餘田二匍後佐竹左翼安打したが小林三振。

第三回。二中二▲松村三振後佐久間中越二壘打に出で高野右飛後成川四球に續き併盗したる時、三壘手の失で佐久間生還、成川三壘に到り野田の三遊間安打で生還、田中捕邪飛。
柏中零▲土井投觸三匍、安平三振、山内も三振。

第四回。二中四▲大中四球目のパスボールで一擧二進し高田捕邪飛後池田四球に出で大中、池田の重盗は三壘手再度の失となって大中生還、松村四球に出で池田との重盗後佐久間の遊匍を野手三壘に高投し、球が轉々する間に池田、松村還り、佐久間も三壘に到り高野の二匍で生還、成川は三匍。
柏中零▲荻野、佐敷共に三振、高田三匍一壘低投に二進したが餘田遊匍。

第五回。二中一▲野田三側安打、田中、大中共に遊撃右を抜いて無死滿壘、高田の三匍に野田封殺され池田三振して二死となったが松村投手足下を抜いて田中還り尚有望で有ったが佐久間投匍。
柏中零▲佐竹三側安打、小林三振後土井の投匍に佐竹封殺され二壘よりの球を松村逸して土井二進し、安平二匍失に出て二盗、山内四球で滿壘となったが荻野右飛しててウィニングボール高田の掌中に収まる。

〔後記〕此の日數日來の雨も晴れてすがすがしき日であった。早朝なのか、スタンドには觀客の影頗る少く静かな、長閑かな、試合であった。
 柏中の投手は去年と同じ人であるが一向發達してゐなかったし、まだ昨年の方が強かったかとも思はれた。相手は一世紀前の野球の様なのでこちらは縦横無盡打撃に走壘に思ふ存分戰った。

 野田のピッチングもさして危げな處もなく終った。或る新聞に直球をあまり多く使ひ過ぎると記して有ったが、相手が變れば品も變る。柏中程度にカーブを使ふ必要は無い。要するに此の試合は物の數に入るものでなく、但實地練習に過ぎないのだ。我々は次のゲームに全力を盡すであろう。