大正7年(6陽会)1918年

NO5

《武 陽》
 十月十七日より四日に亘って扇港野球大會は神戸又新日報主催の下に東遊園地に於て開かれたり。出戰せしは關西學院、神戸一中、神戸商業、育英商業、御影師範、兵庫中學及び本校の七校なりき。

・痛快淋漓仇敵一中に勝つ(十月十七日)
 天機到りぬ。我軍が劈頭の對敵は仇敵神戸一中之ならずや。回顧すれば、春の一戰に流星長蛇を逸して痛恨止むなかりし戰士は、機を窺っては起たんとせしも彼應ぜず、空しく鐵棍を撫して切歯せるや久しかりき。

 されど今、戰はん時機は遂に到れるなり。勇躍する者豈獨り戰士のみかは。必勝の意氣を眉宇に輝かして奮躍敵陣に迫れば、彼も亦結束して起てる神中健兒なり、果然戰は壮烈を極めて熱叫囂々、凄惨の氣天地を罩めたりしが我が白熱の意氣を標榜して起つ九勇士が復讐の念は熾なりき、偉容たり二+A對一!仇敵一中終に我が軍門に降りぬ。
 武陽八百の健兒よ。諸君、何ぞ痛快をば叫ばずや。

 午後一時卅五分、山口主審獅子吼一番開戰を宣す。水も漏さじと守れる我軍に向って先づ名乗上げしは老将緒方なり。八萬観衆が拍手急霰の如く到る。

 第一回。敵先鋒を迎えたる渡邊、有馬、相顧みて先づ絶好のストレートを献ずれば、俄然、逸る緒方は一振して左翼を抜くスリーバッガーを戞飛しぬ。戰場の空氣は劈頭より緊張を極めて騒然たる裡、續く佐々木亦不振にて四球を奪って二壘を盗む。

 ピンチ、ピンチ、我軍相戒めて守りを固む。主将橋本好機乗ずべきの時と焦って打ちし球、ファウルとなって三壘の後方に上るや、病躯を押して左翼を守れる快漢木村、猛然疾走して應援席に飛込み倒れながら其の球を掴んで稀有の快技に滿場を驚嘆せしめしが、犠牲球となって緒方欣然本壘を征す。

 來田強球に壓せられて一壘に直球し、吉田續いて一壘にゴロを呈して拙劣にも佐々木を三壘に残壘せしめしも、貴重なる一點を先取して士氣昂然たるものあり、萬萬の如き歡呼を揚げて狂喜す。

 何糞!と怯まず起ちし先頭山脇見事なり第二球を中堅右翼に直安打して出づ。我が軍が士氣を鼓舞するや多大なり。次いで來田が暴球を投手に返却せるに乗じて二壘を奪取すれば、西村巧に四球を選んで續き好機は正しく我軍を見舞へり。されど渡邊は大飛球を中堅に得られて退き、北澤の一壘匍球は兩騎を三二壘に送りしも有馬が物凄きライナー惜しくも中堅の正面を衝きて功を奏せず。

 第二回。敵尚も奮はんとするも山口左翼に好き當りの飛球を呈せしのみ。石關、藤尾共に渡邊に飜弄され終る。島田同じく左翼に打って死せば、重成、木村相次いで遊撃を強く襲ひて緒方に退けられる。

 第三回。小川の飛球西村危く手中に収めて一死。緒方喧しき聲援に送られて起ち二振の後投手ゴロを打てば渡邊逸し、佐々木を三球にて三振に屠りしも、續く橋本、來田に無雜作なる四球を與へて滿壘の危機は湧くに至れり。萬目注視の的となりし吉田のバット鋭く動くも空打するのみ、既に二振を數ふ。

 此の時なり、有馬の投手への返球高く流れて渡邊取る能はず、球は緩く後に匍ふ。虎視眈々本壘を窺ひし三壘の走者緒方如何で黙視するを得ん、得たりと突進ホームに滑りしあはやの時、敏捷隙さず掬ひ上げて投ぜし重成の好球は有馬のミットにあり、緒方一瞬の差にて本壘に憤死す。我陣中に揚る歡聲を外に敵軍無念の歯ぎしりすることしばし。敵の突撃急なり。我軍何條奮はずして可ならんや。

 打順絶好、それ進めと馬を躍して馳驅す野澤の遊匍空しく退くや、山脇奮然第一球を強振して再度痛快のシングルを中堅に戞飛して出で、敢然二壘をスティールす。西村捕手にファウルフライを得られて二死となりしも、山脇逸球を利して三壘にあり、鐵棍を擁して躍然ボックスに起てる猛将渡邊、精悍の色動くよと見れば果して、豪打痛快にも中堅左翼の天を直球に突破して一驅三壘を陥る。

 山脇雀躍ホームに還って全軍の意氣虹の如し。渡邊の功や又偉大なる哉。老練北澤よく山口を脅かして四球に出で我軍を欣喜せしめしも、二壘盗奪の際オーバーランして惜しくも捕手−投手−遊撃の球に刺さる。
 兩軍茲に一對一のセームラン、滿場熱狂して興味白熱點に達す。

 第四回。渡邊の腕は漸く冴え來たれり。吉田一壘ゴロに斃れ、山口右翼に飛球して安打せしも、石關又も一壘ゴロ、渡邊よく一壘に走りカバーして之を刺し、藤尾、西村に飛球を呈して退く。有馬の當り外れて投手ゴロ。島田、重成初めて三振。

 第五回。敵軍好打順に勇み立つも辛辣を極むる渡邊の剛球を如何せん。小川先づ三振に屠らるれば、緒方、佐々木の匍球、鐵壁山脇鮮かに取っては一壘に刺す。

 木村投手ゴロ、野澤中堅飛球の後當り絶頂に達せる山脇勇躍起って、山口が入念の一球又々痛快の直球を左翼の頭上に放つ。正に絶好の長打と見えて敵軍驚愕して色を失ひし時、左翼手佐々木必死の背進偶然ながらも見事に成功、振りかへり様發止とグラブに掴んで破るゝが如き喝采を博す。亦賞讃に値するプレーなり。されど山脇が赫々たる奮闘戰誠に三嘆の外なし。

 第六回。橋本安打性の緩ゴロを遊撃の右に送って走りしも、敏速隼の如き重成、解かなり颯と止めて一壘に刺し、次いで來る來田の強匍も何なく掴んで輕く野澤に渡す。さらばと吉田ボックスに起つもストライクは續け様に三つ、打棒動かず棒立ちの中に三振す。

 余す攻撃は僅か二回也。今や幸に打順良し。いざ猛襲一擧に勝を制さんと将士何れも鐵棍を握りしめて起つ。西村三壘強襲成らず、渡邊又大飛球を遊撃に得られて二死を算せしも、飛将北澤克く左翼を快心の快打に亂して出壘し、二壘のスティールに成功すれば、有馬選球巧妙四球を選んで一二壘に據り敵軍を威壓するや夥し。

 重任を負うたる主将島田、囂々の應援に送られて蹶起す。彼の一打に待つや最も痛切なる時、二振の後第五球熱血こめて發止と打てば、果然痛快のタイムリー安打は地を噛んで中堅に轉々たり。時ぞ到れりと北澤躍進又躍進、長驅本壘に殺到す、好球亦中堅より本壘に飛び來って、北澤の生死や如何にと全軍思はず息つめし一刹那、

 彼れは猛然スライドと共にホームに突入すれば苛てる捕手石關遂にワンバウンドせる球を後逸して北澤見事確實にホームインす。重成遊飛に斃れて續かざりしも痛撃よく榮ある決勝の一點を制したる我軍の意氣正に天を冲す、死守して敵にランを許すべからずと結束してポジションに就けば、

 第九回。敵軍涙を揮って奮起するも時既に遅し。山口三振に先づ弄殺さるゝや、石關四球を得たるも二壘を盗まんとして有馬の快球に退けられ、若冠藤尾又遂に三振に屠られて激戰全く茲に止む。
 時正に三時を過ぐる十分。凱歌は獨り潮の如く我陣中に高し。
 噫!悲憤の年月今や逝きて雄圖遂に成る。亦壮なる哉。

 神戸一中 100 000 0=1
 神戸二中 001 001 X=2


       打得安盗三四刺捕失残
 〔二中軍〕
       數點打壘振球殺殺策壘
 5 山 脇 3121000201
 4 西 村 2000013001
 1 渡 邊 3010001011
 8 北 澤 2111010000
 2 有 馬 2000016301
 9 島 田 3010100001
 6 重 成 3000100300
 7 木 村 2000002000
 3 野 澤 2000009100
    合計 222522321915

 〔一中軍〕
 6 緒 方 3112003300
 7 佐々木 2001112001
 8 橋 本 1001013101
 3 來 田 2000017011
 5 吉 田 3000100100
 1 山 口 3010100301
 2 石 關 2000113110
 4 藤 尾 3000200000
 9 小 川 2000100000
    合計 211247418924

 ▲三壘打=渡邊、緒方 ▲犠牲飛球=橋本 ▲逸球=石關 ▲審判=山口(球)
  松岡(壘)兩氏。

〈神戸又新日報〉
大正7年10月19日(土)東遊園地 午後3時20分開始 5時閉戰
           審判(球)近藤(壘)粟田

▽2回戦
 育英商業 000 000 0=0
 神戸二中 031 000 A=4


 〔育英商〕     〔二 中〕
 2 荒 川     5 山 脇
 3 工 藤     4 西 村
 6 上 村     1 渡 邊
 5 中 川     9 島 田
 1 山 津     2 有 馬
 4 尾 崎     8 北 澤
 7 安 田     6 重 成
 8  辻      7 木 村
 9 稻 田     3 野 澤
 失盗犠四三安打   失盗犠四三安打
 策壘打球振打數   策壘打球振打數
 31137323   113027727

▲第一回 育英荒川右翼飛球に倒れ工藤三振後上村四球に出で二壘を盗み中川亦四球に出でたるも山津三振して第一の好機去る
△二中山脇遊失に出で西村のバントに山脇一擧三壘を奪はんとして刺され西村二三壘を盗壘せるも渡邊、島田共三振して點を為さず(育英零、二中零)

▲第二回 育英尾崎三振、安田投匍に辻亦三振に終る
△二中有馬二壘右を抜く安打に出で二壘を盗むや續く北澤四球に出で有馬、北澤ダブルスティールに成功して二三壘に據る、重成ファウルを獲られて倒れしも木村の投匍に有馬生還最初の一點を擧げ野澤の中堅安打に又もや木村、北澤相續で生還三點を得、野澤二壘盗壘に倒れしも山脇遊失に出で二壘を盗壘、西村の内野安打に山脇三壘を西村二壘を盗みたれども渡邊三振して遂に止む(育英零、二中三)

▲第三回 育英稻田四球に荒川バントヒットに出で工藤の犠打に送られて稻田、荒川二三壘に據りしも稻田投手に謀られて挟殺され中川も三匍に倒れて好機逸す
△二中島田投匍に倒れしも有馬二壘失に出で二壘を盗む、北澤四球に出で盗壘して有馬、北澤二三壘に據るや重成の遊匍に有馬生還一點を加へ續く木村遊飛に倒れて止む(育英零、二中一)

▲第四回 育英山津三振、尾崎、安田共に二匍に倒れて止む
△二中野澤右翼安打に出で山脇三振、西村三壘を衝いて出でしも野澤二三壘間に挟殺され有馬三振を喫して止む(育英零、二中零)

▲第五回 育英辻内野安打に出でボークを得て二壘に進みしも稻田ファウルを三壘手に獲られ荒川投匍に倒れて止む
△二中島田遊匍に倒れ續く有馬右中間の安打に出でしも北澤の二壘匍に有馬詰殺さる、北澤二壘を盗みしも重成三振して無為に終る(育英零、二中零)

▲第六回 育英工藤投失に出で上村の三匍に工藤二壘に殺さる、中川の遊匍に上村、中川ダブルプレーを喰ふ
△二中木村投匍に伊澤三振、二死の後山脇右中間の安打に出で二壘を盗みしも西村遊匍に倒れて止む(育英零、二中四)
▲第七回 育英山津三振の後尾崎右翼安打に出でしも安田の二壘匍球に尾崎詰殺され辻亦投匍に倒れ育英軍最後の奮闘も遂に効なく四A對零を以て二中軍の大勝に歸せり。

〔概評〕今春來二回共接戰に惜き敗を取った育英軍、此度は決死の勇を以て衝ったが時に利あらず前二回に比し却って振はざりしは如何?毎回育英軍の打撃にして見るべきものゝ無かったのは其大なる敗因をなしたものである。

 然し守備に於て缺點があったのは數回の戰いにプレーヤーをして常位置に立たゝむ能はざるの事情有りてか不馴れの位置に置いたのは育英軍に取って甚だ残念だった事と想はれる、然し終始能く全力を盡して強敵に對した態度は大に感ずべきである。