大正6年(5陽会)1917年

NO1

《武 陽》 大正6年7月發行
◎對關西大學(五月二十二日)
 彼の挑戰に應じて、本校々庭に之を迎へ戰ふ。新進勇士の活動目醒しく「五對十」本年劈頭戰に見事大勝−我は擧ってその幸先好きを祝福しぬ。

 第一回、敵先攻、新にプレートに立ちし岸本主将の球勢仲々に凄じく二者三振と凡打とに終る。我軍代り攻め、三宅、山脇相次いで死四球に出で一死後岸本のバントに三二壘に進むとき、捕手の逸球に三宅生還。凱歌先づ我軍にあがる。

 第二回、敵三者無為。我軍も島田の安打ありしのみ。

 第三回、依然として振はざる敵の攻撃の後を承けて立ちし我軍は渡邊先づ四球を利し北澤の左翼二壘打に勇躍してホームインし又一點を加ふ。

 第四回、藤井、西村を過らしめて初めて壘に出で二壘をスティールす。八木四球、續く吉田は三振、松井は一壘飛球に斃れしも、投手、牽制球を過り藤井三壘を得しとき北尾の一打三宅失して敵一點を得。
 さらばと我軍一死後島田四球に出で三宅右翼飛球に死せしも、投手の暴球に二壘に進み山脇の安打を待って飛燕の如く生還。山脇も二壘を盗み、渡邊の遊撃ゴロ八木暴球を投ぜし為長驅生還す。岸本二壘ゴロ。

 第五回、敵の無為なるに反し、木村は四球を利し續く西村、有馬痛快にも連續してスリーバッガーを戞飛し、島田も亦右翼に絶好の安打をなす。後援續かざりしも此回の得點三點合計七點に達す。敵投手顔色更になし。

 第六回、藤井四球に出で八木のバント捕手のパッスドボールに還る。我軍渡邊絶好のロングヒットを中堅左翼間に打ちて長驅三壘を得んとして惜しくも刺さる。されど四球の北澤盗壘に盗壘を重ねて三壘に至り捕手暴投せし為その侭續いて生還す。伊藤投手になる。

 第七回、兩軍為すなし。

 第八回、敵初めて振ふ。中川、松浦相次いで四球に出で藤井遊撃のエラーに生き無死滿壘を呈す。八木の一打は左翼に飛んで西村を過らし中川、松浦續いて生還。八木二壘を得んとして刺されしも吉田の安打に藤井還る。吉田二壘の盗壘に失敗し後續無為。我軍猶も山脇のヒットと敵失とに二點を増す。

 第九回、敵の最後の攻撃も伊藤の安打ありしのみにて空しく終り、我軍はアルファー付きの大勝を奏しぬ。

大正6年5月22日(火)神戸二中
 關西大學 000 101 030=5
 神戸二中 101 231 02A=10

  〔二 中〕   〔關 大〕
 SS 三 宅  B1 藤 井
 B2 山 脇  SS 八 木
 B1 渡 邊  B3 吉 田
 P  岸 本  B2 松 井
 CF 北 澤  C  北 尾
 B3 木 村  LF 戸 井
 LF 西 村  CF/P伊 藤
 C  有 馬  RF 中 川
 RF 島 田  P/CF松 浦
     30 打撃數 28
     10 得 點 5
     8 安 打 2
     3 犠牲球 1
     7 盗 壘 3
     2 三 振 10
     10 四死球 6
     8 失 策 6

◎對神戸高商戰
 第一回、敵先攻して三箇の四球を利し二箇の安打を打ち、我軍の失策五箇を算して一擧十點を奪ふ。打者に立つもの十四人散々に我陣形をくづし終んぬ。
 大勢稍定まるに似て我戰士の意氣少からず消沈せりといへ我等が胸には武陽スピリットあるを知らずやと決然とボックスに立ちし好漢三宅の必死の強スイングには戞然として音あり、熱火の勢に送られたる直球は見事中堅左翼を突破して堂々たる本壘打となり轟々たる歓乎の中悠々生還せし彼の勇姿の如何に凛々しかりしよ。

 渡邊、木村の勇将ヒットを連發して此回一擧三點を得たり、されど二回に入りて敵又も二點を獲得し、我軍苦戰大に努めしも中村偉大漢投手に立つに及びて、一壘を踏む者もなく、六回山脇力闘三壘に達し本壘を窺しも遂に及ばず、日没の為め、六回ゲーム十三對三にて惨敗しぬ。

 神戸高商 1021 000=13
 神戸二中 300 000=3


 〔神戸二中〕
 SS 三 宅
 B2 山 脇
 B1 渡 邊
 CF 北 澤
 RF 島 田
 B3 木 村
 LF 西 村
 C  有 馬
 P  岸 本
 得失犠盗四三安打
   牲    撃
 點策球壘球振打數
 31205310320

 〔神戸高商〕
 LF 松 尾
 C  睦 好
 SS 三 谷
 B1 松 本
 B3 大 場
 B2 富 田
 P  太 田
 P  中 村
 CF 香 川
 RF 奥 村
 得失犠盗四三安打
   牲    撃
 點策球壘球振打數
 1311463339

◎對關西學院高等部戰(六月六日)
 我九勇士の守備、攻撃共に漸次堅實を加へ來たりし時なり。我軍ヒットを連發して六對十四Aにて大勝す。山脇、柳田本壘打を飛ばせり。

 第一回、敵の先頭柳田第一球を打ちて中堅越えの大飛球となし一擧に本壘を突破し歡聲敵軍に湧く。我軍此の上はしまれと平松をピーゴロ高瀬を右翼飛球に打取り佐藤にヒットを許しゝも二壘に之を刺す。

○我軍島田本日の先陣を承り四球を利して出で快足直ちに二壘を奪ひ渡邊の三壘グラウンダーに三壘に進み捕手の牽制暴球に生還。續く岸本、三宅共に四球を利せし時木村左翼にタイムリーヒットを打ちて二壘打となし前二者の入壘を援け自らも西村の二壘を失せしめし為め生還す。

 第二回、敵は大橋、我は有馬、島田各四球を得しも無為。

 第三回、我二死の後三宅四球を得、木村遊撃の失に生き、西村又四球にて滿壘となり續く有馬も四球を得てワンバイワン三宅生還。北澤遊撃を失せしめて木村、西村牙城を陥れ、島田好妙のヒットに左翼を襲ひ、有馬を入壘せしめしも北澤先を急ぎて本壘前に憤死す。

 第四回、敵は投手を柳田に代ふ。山脇大飛球に巧に中堅を惑し隼の如く本壘に入り、四球の三宅遊撃の失に生還又々二點を加ふ。

 第五回、兩軍大に振ふ、敵大橋遊撃失、石關右翼安打、今井三振せしも柳田四球を得て滿壘となり平松四球を利して大橋オシ出され依然滿壘の時高瀬右翼線上に大飛球を飛し島田之を過る間に走者皆還り高瀬三壘に到る。岸本大にふんばりしも佐藤にヒットされ高瀬生還。されど及川、松本三振して危機去る。

○我軍奮起し、有馬四球、北澤三振せしも、島田左翼に再び安打して山脇一壘を過し為めに有馬生還、島田三壘に殺到して生く。此時渡邊立つ。一撃熱球は中堅右翼間をダイレクトにて貫き見事なる三壘打となり島田、山脇轡を竝べて還り渡邊も岸本の右翼安打に悠々生還。三宅續てヒットに右翼を亂し、岸本三壘に走って二壘よりの投球に刺さる。木村直球を二壘に得らる。

 以後兩軍得點なく、六回敵石關三壘に到りしも今井バントを過りて挟殺さる。我軍も八回 に西村左翼に快打して二壘をスティールせしも後援續かず遂にその侭終り十四對六にて大に勝ちぬ。

大正6年6月6日(水)
 關學高等部 100 050 000=6
  神戸二中 404 240 00A=14

       打安三四盗失得
 〔二中軍〕 撃  死   
       數打振球壘策點
 9 島 田 2203112
 4 山 脇 5100002
 3 渡 邊 5110011
 1 岸 本 4111111
 6 三 宅 2113133
 5 木 村 5100002
 7 西 村 4111101
 2 有 馬 2013002
 8 北 澤 4010000
    合計 3386114614

 [關西軍〕
 61 柳 田 3112032
 56 平 松 4001011
 2 高 瀬 4000201
 95 佐 藤 4210000
 3 及 川 3021010
 8 松 本 4020000
 7 大 橋 3001101
 19 石 關 3011001
 4 今 井 4010010
    合計 32386366