大正2年(1陽会)1913年

NO6

〔試合経過〕
 ▽第一回 第二中先攻、高瀬、松本、今村とも西村投手の球に翻弄されて三振に枕を並べ意氣振はず、第一中塚本左翼に大飛球を飛ばし敵膽を寒からしめたるも左翼手能く之を捕ふ、梶中堅へヒットを打ち島遊撃を襲ひしが遊撃手之を二壘に投じて梶を殺し急遽一壘に球を投じ危ふき所にて島を刺し美事るダブルプレーを演じたり

 ▽第二回 二中宮岡二壘オバーのヒットを飛ばし捕手のパスボールせる隙に二壘を襲ひ直ちに長躯三壘に迫らんとし捕手より球を投じたるも僅かの差にて美事盗壘し本壘を窺ふ、二中應援隊の喜び一方ならず應援歌頗る頻りなり、之より先村井三振し、次に山崎右翼に大飛球を見舞ひしも敵手に名を為さしめ二死となる、

 次の打手は第七打手今井なり、第一球はフワウルとなり第二、第三、第四球悉くボールにして四球かと見へしも第五の球はストライク、第六球もストライクなりしに先程より頻りと本壘を覗ひし宮岡は万事休すと見て突如冒険を試み挟撃に逢ひしが三壘手の逸球を利して生還、一點を得たりと狂喜せるも今井が先に死せる為ホームインとならず夫と見し二中選手より抗議を持ち出しツーストライクを主張せしが容れられず結局無得點と定る、一中三宅、松崎三振に殪れ坂野三壘飛球を獲られて為すなし

 ▽第三回 二中森脇遊撃にゴロを送り一壘に死し岡本遊撃に飛球を捕へられ續く高瀬四球に出で二壘を盗みしも松本三振して止む、一中は機會到來此インニングに於て大活躍を試む事となれり、先づ最初鈴木二壘の左に安打し藤井の犠牲球に壘を進み西村が二壘を衝きしと同時に三壘に達し西村急遽二壘に據る、

 塚本遊撃の頭上高く飛球を送り若しヒットなりせば二點を得たらんに敵の遊撃手高瀬バックして之を捕へ喰ひ止めしは大出來なり、梶四球に出でフールベースとなり次の島打手に起ちしが敵の岡本投手稍々固くなりし氣味にて又も四球を送り鈴木勞せずして生還一點を得、尚フールベースなり、續く打者三宅長棍一揮すれば球は戞然として左翼に飛び安打となり此隙に得たり畏しと西村、梶躍って本壘に還り二點を加ふ、

 松崎為す所あらんとせしも投手にゴロを送りて一壘に刺さる此間、一挙三點を獲得して一中の勇氣百倍し各年級に區別したる五色の旗は林の如く何回となく頭上に高く差上げられ會場内寧ろ殺氣立てるを見る

 ▽第四回 二中奮闘努力して盛り返へさんと焦慮りしが却って失敗の基、今村、宮岡、村井悉く三振を喰ひ枕を並ぶ、一中坂野遊撃を過らしめ鈴木三壘にゴロを呈して出で藤井投手ゴロに出でしも坂野三壘に刺さる、

 西村右翼に大飛球を打って功名を敵に與ふ、塚本俄然左翼にヒットを飛ばして鈴木を生還せしめ尚為す所あらんとせしが西村三壘に於て捕手よりの投球に刺されたり、一中得點四を數へ二中再び回復の見込みなしと認めらる、應援の猛烈其極に達す

 ▽第五回 二中山崎の打ちたる球は三壘のラインの上を轉り疾駆一壘に生く好機到れり、二中應援隊何ぞ黙すべき、柏子木を叩いて間斷なく打囃し、一中の突飛なる應援歌に對し新たに作れる輕妙洒脱の歌を三唱し、數万の觀衆亦手に汗を握る、

 今井打たんと努力せしが三振に死し此間に山崎二壘を盗む、森崎又三振し萬事休す、己んぬる哉を嘆ぜしめしが岡本俄然二壘の頭上高く中堅の右に絶好ツーベースヒットを飛し山崎勇躍して生還、喜悦の聲場内に溢れ殊に應援隊の數百の旗は風を起して唸り頭上高く翩々として舞ふ、

 既に二死なり、高瀬投手の右にゴロを送り出で岡本三壘を奪はんとせしに敵は何故か狼狽氣味となり之を殺さんとして悪球を投じ三壘の逸したる隙に岡本猛然として本壘を奪ひ二點を回復す、而も高瀬尚二壘にあり引續き活躍を見んとせしも松本三振に涙を呑む、一中代り攻め梶遊撃を衝きしが一壘に憤死し島三振、三宅四球を利して出で既に二死の事とて氣を焦ち二壘を奪はんとせしも松本捕手の正鵠なる投球に美事刺殺され為すところなし

 ▽第六回 二中再び機會を作らんと猛り立ちしが今村、宮岡續いて三振を喫し村井三壘を過らしめ二壘を盗まんとする際投手より二壘に投ぜし球が正鵠を失し逸せしより一擧三壘を衝きしが、大膽は失敗を招き敵の術策に陥れられ憤死す。一中松崎左翼に坂野、鈴木何れも三壘に飛球を獲られ為す所なし

 ▽第七回 ラストライニングに入りぬ、二中は最後の一戰に必死の勇を越し回復せんとせしも西村投手の腕は冴へ山崎三振、今井投手ゴロに死し森崎又三度振に殪れて万事休す、四プラスアルファー對二點の成績を以て勝は神戸一中の手に落ちたり、時に午後四時四十分、ここに一中再び勝を制し六百餘名の全校生は欣喜雀躍しキャプテン島氏を先頭に各選手は打揃ふて賞牌を受けたり。

[野球部成績一斑]
(自 大正元年九月→至 大正2年十二月)
(1)二中野球部としての戰勝率
 創立以来、今日に至るまでの對外試合總數は、三十一にして、之を細別すれば左の如し。※印は平均戰勝率
 

 年 總 勝 負  戰
   回 試 試  勝
 度 數 合 合  率

 43
 8 4 4 .500
 44
 9 5 4 .556
 1 7 1 6 
.143
 2 7 2 5 
.286
 合計
31 12 19 .387 

(2)各選手の打撃及守備成績
  A選 試 打 得 安 犠 盗 三 刺 補 打  守
  B手 合 撃 點 全 牲 壘 振 殺 殺 撃  備
  C名 總 總 總 球 球 總 總 總 總 率  率
  順  數 數 數 總 數 數 數 數 數          
 藤 野 3 
10 1 2 0 1 3 2 14 .200 .841
 茨 木 6 
15 1 2 2 1 5 12 11 .133 .742
 今 井
 10 28 1 3 1 4 15 18 12 .107 .789
 兒 島 3 
10 0 1 0 1 5 3 2 .100 .800
 松 本
 13 41 1 3 1 4 17 45 25 .073 .972
 宮 岡 
13 39 5 3 0 6 9 24 8 .077 .640
 森 本 3 5 1 0 1 2 2 
11 5  ?  ?
 森 崎 8 
25 0 0 0 0 13 3 2  ? .714
 村 井 6 
22 5 7 1 5 8 8 10 .319 .939
 岡 本
 12 40 5 11 2 5 10 17 79 .275 .951
  菅  5 
18 3 3 2 8 7 8 32 .176 .909
 高 瀬 7 
27 2 2 0 8 4 24 14 .074 .951
 田 中 5 
17 1 3 1 3 3 8 10 .167 .621
 山 崎
 12 40 3 8 2 9 12 51 18 .200 .899
 吉 川 5 
19 2 2 0 2 2 6 10 .105 1.000
 平均  7 
24 2 3 ? 4 8 16 17 .133  .836 

 備考 試合総數三回以下のものは之を省略す。
    守備、打撃兩率とも最高位を千とす。
 

 ☆山崎 武二氏  大正3年卒、2陽会

 『米国の軍艦クリーブランド号の水兵達相手の試合であった。私は一塁を守った。
二中ではまだ靴を履くことが許されてなく、また地下足袋もない頃であるから普通の紺足袋を履いて試合にのぞんだ。ところが、相手は雲つくばかりの大男がスパイクつけた靴で、猛烈な勢で一塁に飛び込んでくるので、その恐ろしさは今でも忘れられない。
 
 殊に初めて試合に出たのでアガッテいるのか、足許がガクガクして落ち着きのないこと夥しい。幸に大きな失策はしなかったと思うが、打者になってもサッパリ打てず、結局6−0か8−0で負けた。……』

〔注〕山崎氏の名前が初めて出たのは明治43年7月19日の對クリケット倶楽部との試合。外人相手で勘違いしたのでは。なおこの試合は7−5で二中が勝っている。
その前の試合(6月
17日)ニューオルレアンズ號と試合をして10−0で敗れている。
山崎氏は出場していない。