大正2年(1陽会)1913年

NO4

《武  陽》
◎對神戸一中(第二回)大正2年9月
30日(火)神戸二中
 神戸二中 010 000 010=2
 神戸一中 400 001 00A=5
 

 生田の彼方風荒く、東軍五色の旗を翻し、我軍幾百のカーキーの旗を神撫颪に靡かせば、殺氣はや武陽原頭に滿ち滿ちぬ。やがて審判官の一聲高く響けば、白踏の戰士はや陣を張る。

 第一戰。表。我が黒踏の高瀬先づボックスに立ちPゴロを呈して斃れ、松本三振、續く山崎長棍一揮すれば中堅左翼間の二壘打となり、一擧二壘を奪ふ。然るに、二壘手、投手、中堅、三壘手に挟撃せられて死す。裏。塚本三壘に呈球して一壘を奪ひしも、松本捕手の正鵠なる投球に二壘に死し、梶二壘を誤らしめ三宅投手の悪球を利して進む。

 西村立つや中堅に安全球を呈して生き、梶機を得て生還す。坂野投手ゴロに生く、岡本之を捕へ、本壘に肉迫せむとする三宅を刺さむとして投ぜしも悪球となり、三宅生還す。松崎内野に安全球を送りて混亂せしめ、西村、坂野之に依りて生還す。鈴木三振、藤井四球に出でしも、塚本遊撃に刺さる。得點四。

 第二戰。表。宮岡四球に出で二壘を盗む、村井三振、岡本遊撃に刺されしも、宮岡捕手が走者を抑制せむとして、三壘に投ぜし暴球を利し、脱兎の如く本壘に入る。應援隊の欣喜又なくぞ見えたる。今井三振して止む。裏。梶遊撃の手に死し、三宅二壘に名をなさしめ西村一壘に死す。

 第三戰。表。森崎遊撃ゴロに死し、箸藏三振、高瀬又三振に死す。裏。坂野一壘に刺され、松崎遊撃の失に生きしも、松本の見事なる投球と高瀬の快手とにて遂に二壘に死し、鈴木三振して止む。

 第四戰。表。松本三振、山崎三壘に呈球して一壘に死し、宮岡三振して止む。裏。平川遊撃飛球に死し、藤井左翼に安全球を遣り、塚本四球を利せしも後援續かず、梶遊撃に刺され、三宅の大飛球も中堅の捕ふる所となる。

第五戰。表。村井飛球を右翼に送りて死し、岡本三壘の失に生き、今井の犠牲球に依り三壘に進みしも、森崎、箸倉共に三振に斃る。裏。西村遊撃に刺され、坂野四球を利せしも、前轍を踏み二壘の露と消え、松崎右翼の飛球に死す。

 第六戰。表。高瀬一壘ゴロに死し、松本三振、山崎四球を利して進み、宮岡又四球に出でしが、村井投手に飛球を呈して止む。裏。鈴木四球を利せしも二壘に死し、平川投手を襲ひて一壘に進み、藤井飛球を中堅に送ってその失に生き、平川機を得て生還す。塚本右翼へ安全打して進みしも梶三振し、三宅遊撃にゴロを呈せしかば、遊撃此を本壘に投じて藤井を刺す。

 第七戰。表。岡本遊撃の失に出でしも、今井一壘に死し、森崎四球に出でしも、箸倉投手ゴロを呈せしかば、岡本為に本壘に刺され、高瀬三振して止む。裏。西村三振、坂野二壘の失に生きしも、二壘上にて投手遊撃の巧妙なる連絡の為に惨死し、松崎投手を襲ひて進みしも、鈴木三振して止む。

 第八戰。表。松本、山崎、三振せしも、宮岡四球を利して二壘に據る、村井猛然立ちて一揮すれば、球は遊撃、二壘間を貫く絶好の安全球となり、宮岡長驅本壘に入る。此に二點となり稍や回復す。岡本三壘ゴロに死して止む。裏。平川右翼に安全球を送りて二壘に至る。藤井三振、塚本左翼安全打に出でしも、梶のバント不成功に終り、三宅三振して止む。

 第九回。表。西村の投球猛を極め、今井、森崎、箸倉各々三振して萬事窮す。
時に暮色蒼然、暗雲武陽原を襲ひ、旗を鞜みて黙然たり。我軍の練習の足らざりしに依るか。さるに我應援の猛烈なりしには感謝の至に堪へず。(宮岡泰一稿)

    

*これ以降の記録、成績(テーブル)は《武陽》と<神戸又新日
 報> <神戸新聞> <朝日新聞>などを重複して掲載することがありま
 す。
 従って必ずしも内容の数字が同じとは言えません。それぞれの新
 聞によって記録数字が異なることがありますが、あえてそのまま
 掲載することにしました。
 [公式記録]というものがなかったので各社独自に記録を出してい
 たのでこういうことになった訳です。