大正元年(1陽会)1912年

NO4

◎對御影師範(第二回) (田中稿)
 秋色益々深からむとし、菊の香愈々高からむとする神無月の二十七日、我校は神戸商業學校の野球大會に招かれて九戰士を思出深き東遊園地へ送りぬ。其日の敵は御影師範とぞ聞えし。好敵手いざ御座なれ、會稽の恥を雪ぐは今日なるぞと、意氣自から軒昂して殺氣滿々、之に迫らむとせり。一時半内波氏の審判、園田氏の壘審の下に兩軍愈々相見ゆ。

 第一戰、御影軍先攻なり。其先鋒玉田(兄)之に次ぐ玉田(弟)共にピーゴロに斃され、黒崎左翼へフライを送りしも勇将岡本の笑って収むるところとなりて止みぬ。
 我軍代りて攻む、吉川遊撃の手に斃れ、菅三壘の失に生き、山崎の犠牲球功を奏して菅二壘に進み山崎は投手の失によりて一壘を得たれども惜む可し、岡本二壘のフライにて茨木三振して終る。此回兩軍の得點なし。

 第二回戰、御影軍の驍将高井、右翼へ強ゴロを呈し其の失を利し、富田亦遊撃の生き、池内の犠牲球を俟ちて二人連壘し捕手の逸球にて高井先づ生還し、安髄亦犠牲球に出で富田を生還せしむ。我軍の備稍混亂の氣味ありき。
 次で高橋三振、初井ピーゴロにて生き池内、本壘を衝かむとして、吉田の手に斃れ、玉田(兄)三振して遂に終る。此の回敵軍一擧して三點を収む。

 我軍の攻むるや松本遊撃へフライを送り、今井内野へ絶好のバントを呈して生き、吉田三振、宮岡二壘に直球を呈して、よく其の失を利したれど吉川のバント時に利あらず、二人は恨を懐いて残壘せり。此の回我得る所なし。

 第三回戰、玉田(弟)四球を利し、黒崎又左翼へフライを呈して斃れ、高井三振の醜名を負ひ、富田右翼へゴロを送りて生き、更に捕手の失に玉田生還し、又一點を収め、富田三壘にありて虎視眈々たりしも、池内の後援續かずして止む。

 我軍にては菅の野心や大なりけむ三振して退き、山崎左翼へフライを送りしも敵に名をなさしめ、岡本四球を利したれど恨む可し、茨木が三壘へ呈せし球に、フォースアウトとなりぬ。

 第四回戰、安随劈頭第一左翼へフライを飛ばし、其の失を利して二壘に進み、高橋は又三振の醜を留め、初井投手の失に生き二壘に進み、為に安随生還す。玉田(兄)は又投手にバントを呈し、我軍益々混亂又混亂、敵軍もさるもの、此の虚に乗じて、忽にして前後して生還し、累計六點を収む。

 此に反して我軍の形勢頗る不振の状況にて、苦戰悪闘すれど而も尚一の得し所とてあらず。今日の運命亦此處にて将に決せられむとするか。我軍依然として活躍を見ず、松本ピーゴロにて今井三振し、吉田左翼のフライにていづれも凡死せしのみ。

 第五回戰、漸く終局に近づかむとす、我軍豈勇を鼓して以て敵に當らざる可けむや。さしもに振ひし敵軍も高井ピーゴロにて、富田は遊撃へのフライにて、又池内三壘へファウルフライにて各々凡死す。我軍よく守りぬと云ひつ可し。
 更に我軍にては如何せむ、未だ目覺しき活躍奮闘を見ず、たゞ宮岡、吉川、菅、山崎の四戰士が無念との叫聲を聞きしのみ。

 第六回戰、安髄初めに四球に出で、高橋右翼へフライを呈し、初井犠牲球を以て安随を三壘へ送りしも、彼は遂に茨木、吉田の二士のために挾撃されて、徒になりしも愉快なりき。我軍代りて攻む。各戰士の顔には、深き決心の色ありありと見えて何となく殺氣立ちて見えぬ。

 悠々ボックスに立ちし我軍の岡本、腕に覺ありと快腕一振すれば、球は恰も生あるごとく、靈ある如く左翼へ大安全球を送りて生き、茨木よく三壘の失を利し、松本死球に出でしも今井一壘の露と消え松本其の球に一壘に刺されて此處にダブルプレーを演じたるぞ是非なけれ。
 吉田亦捕手に斃されて又々得るところなく、岡本、茨木をして空しく残壘せしむ。嗚呼大勢の趣くところ如何せむ哉。

 第七回戰、我軍は五回の頃よりそが備を嚴にして 犇犇と守る。ために敵軍も其勢を振ふに是非なく、僅に玉田(兄)の遊撃に斃れ、玉田(弟)同じく三壘に名をなさしめ、黒崎亦投手ゴロを呈して斃れて止みぬ。我軍の攻むるや宮岡遊撃のゴロに死し、吉川投手の手に斃れ、菅四球を利して忽に盗壘し、山崎死球に出で岡本三失の壘に生き為に菅生還し、此處に辛じて一點を収め、零敗を免れたりき。

 されど後援利なく茨木ピーゴロに死し英志又繼ぐ能はず。萬事休矣、六對一の大敗のスコーアを残して兩軍戰を収む。鳴呼此の敗をや如何せむ哉。主催者の好意にて撮影して別れぬ。時に午後二時半。

 吾人此處に於てか又何をか云ひ得む、此の敗に對して常勝軍の驍名を恣にして、雄然四周を睥睨せし我軍も、今や敗軍となる。敗軍の将兵を語らずとはいへ吾人又感慨なき能はず。古人云ふ、勝敗は兵家も期す可からず。恥を包みて忍ぶは之男兒云々と。

 又聞かずや、江東俊傑多し、地を捲きて重ねて來る其の勢知る可からずと。鳴呼何ぞ其の悲痛ぞ。見ずや男子の本領實に此十數字の間に活躍せるを。卿等我野球部の全般を雙肩に荷ひ、四面楚歌の裡に立って、尚忍びて其の任を盡す、其の心情や察するに餘あり。回顧すれば今年の敗績、實に心痛の極に堪へず。

 此の際一層健闘努力して我が野球部の運命をして再び昔日の感あらしめよ。此!我等六百の健兒−健全なる野球部の發達を臨み、其が活動に憧れつゝある我等が切に冀望して止まず。努力奮闘之!金科玉条なり!!

大正元年1027日(日)東遊園地
 御影師範 031 200 000=6
 神戸二中 000 000 100=1
 

        打安犠三四得
〔二中軍〕   撃全牲 死 
        數球球振球點
 2B 吉 川 410000
 1B  菅  300111
  P 山 崎 201010
 LF 岡 本 310010
 2B 茨 木 400100
 CF 松 本 200010
 RF 今 井 310100
  C 吉 田 300100
 SS 宮 岡 300000
   合計   
2731441

        打安犠三四得
〔御影軍〕   撃全牲 死 
        數球球振球點
 SS 玉田兄 400101
  C 玉田弟 300011
 1B 黒 崎 400000
  P 高 井 310101
 3B 富 田 300001
 CF 池 内 201000
 LF 安 随 101011
 RF 高 橋 300200
 2B 初 井 101001
   合計   
2413426