明治41年(1陽会)1908年

NO4

《二年級對一年級試合》
 時は五月二十二日。春草雪を排して出づる此日、二年級對一年級の試合は、福田副部長審判の下に開かれたり。兩軍の撰手の面々左の如し。

 (二年軍)
      打生犠四盗三安
      撃 牲死  全
      數還球球壘振球
3B 藤 野3100010
RF 村 井5200211
2B 前 川5330201
LF 横 川4210010
 C 井 口2010020
CF 菊 岡3010001
 P 直 木4000000
1B 中 村1000020

 (一年軍)
SS 菅         
2B 竹 内3000010
 C 松 本4000000
1B 行 木2000020
3B 坂 本3000201
CF 柴 田3001000
LF 泉 谷4110101
RF 大 岡2110020
SS 高 瀬3111000
 P 岡 本3100111

 之れ一年と二年との第一回の試合にして、最も校友應援隊の熱望せし試合なり。兩應援隊より起る拍手の響彌次る聲。武陽城も壊るゝかと思ふ程なりき。かくして試合は漸く酣なり、而して一年得點なし。第二戦となるや、兩軍共得る所なく第三戦となるや、二年軍亦大活動を開始しぬ。

 二年の村井先鋒劈頭一番五尺の氣を托して、長棒一振、忽ち熱球は右翼に飛びて安全球。二年意氣益々旺盛。續く前川出づるや、遊撃打に村井を三壘に生かしめ、横川、村井生還せしめんとせるも、無惨や一年の劔にかゝりて本壘に倒れ、井口亦本壘の露と消えて、一擧にアウトとなりぬ。

 續いて出でたるは、二年の驍将と呼ばれ重鎮と稱せられたる蠻将菊岡君也。如何でか此の好機を失すべきぞと短躯滿身の力に腕を鼓して、長棍一振、忽ち安全球を右翼に送りて、村井、前川踵を列べて本城へと入りぬ。

 然れ共彼れ遂に二壘に敵の劔にかゝりて死しぬ。一年攻む。然れ共兩軍倶に得る所なく、第四戦も終りて第五戦となるや、一年軍の柴田四死球に生くるや、泉谷の安全球遂にツーベースヒットとなりて、柴田本壘に死し、大國の弱球克く敵をして混亂せしめ、高濱亦もや四死球にいで、岡本、泉谷、大國、高濱を生還せしめんとして、長棍一揮、忽ち猛球は左翼を抜きてホームランの晴業を演じて、一擧四點を収めぬ。

 應援隊亦彌次り始めて、花形役者の岡本、賞讃の聲四方に響きたれども、後續かず。大飛躍も止みて、一時休矣。第六戦亦兩軍無事、第七戦となるや、一年軍得點なきに反して、二年軍益々振ひ、一擧三點を収めて八點となる之れ今日最後の得點なりき。

 勝は二年。月桂冠は二年の頭上に落ちぬ。鳴呼此の戦や、實に二年克く其の本務を盡したりといふべし。一年に一度の敗北を悲しむ勿れ。益々奮へ、兩軍の勇士。時に暮色武陽原を襲ひ來たりて、萬歳の聲賞揚に響に、各々家路に歸りぬ。